鹿島美術研究 年報第7号
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ようにして個性を磨きあげ、しかもフランス的とされる特質を顕在化したのかという点を、人文主義絵画の流れの中で考察した。まず最初に、近代フランス美術確立の時期とその性格を確認しておきたい。フランスは、ルネサンス以降17世紀初頭に至っても、まだ他国に誇れる固有の美術をもたず、もっぱらイタリアとフランドルに依存していた。フランスが独自の趣味や様式を確立するのは、絶対主義国家の生成過程と時を同じくしている。1648年、ルイXIV世(在位1643-1715)の治政下にフランスは、独自の美術を育成するための公的な教育機関である王立絵画・彫刻アカデミーを設立した。それは古典主義的美術理念を指針とし、イタリアで活躍中のプッサンを模範とした。バロック様式最盛期のローマで活躍したフ゜ッサンが、荘重様式(マニエラ・マニフィカ)と呼ばれる古典主義様式を確立するのが1640年代のことである。その特色は、明晰な構成、荘重で簡潔な表現、秩序と調和への強い意志である。それらの特色は、のちにアカデミーがいっそう純化しようとするものであるが、17世紀半ばのフランス美術に顕在化する傾向である。さらには、1640年代のフランス人の活動全般に目を転じると、デカルトやコルネイユに代表される、理性と秩序を愛する合理主義的精神が注目される。それこそが、フランスを他国から区別する個性である。ところがプッサン芸術の基礎となるのは、イタリアである。1594年に北仏で生まれたプッサンが、1624年にローマに到着して以降一貫して探求したのは人文主義的な絵画の理想である。つまりルネサンス以降イタリア絵画が標語とした「絵画は詩のように」という理想である。それは、古典古代には文芸の役割であった人間の本来あるべき理想の姿を表現し、観照者を啓蒙する歴史画に最大の価値を置く。そして自然に倣いながら自然を凌駕する理想美の範例として、古代ギリシア・ローマの美術、ついでラファエルロを挙げる。プッサンは、人文主義絵画の伝統が理想とする歴史画家つまり「教養ある画家」になるために研鑽を積んだ。ルネサンス以降、職人と区別される創造的な美術家にとって必須の遠近法や人体比例、解剖学や光学はもちろんのこと、付卓着フ・イ直箪と称せられるほど古今の文学に造詣を深めた。歴史画に最高の価値を認める人文主義的な美術理念にとっては、何よりも主題の選択が重要な絵画の判断材料となったからである。画家は、高貴な主題の選択、それにふさわしい内容の把握、正確な時代や風俗の考証、らしい人間の感情表現を要求された。そしてプッサンは、屋外の自然や古代の_133

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