術遺産、またラファエルロやティツィアーノの研究も怠らなかった。とりわけラファエルロの明晰な構図と節度のある表現は生涯の目標となった。プッサンの基本的な造形方法は、日常的には現実や範例となる作品からの観察を続けつつ、現実の模倣では終らずに理性によって世界を再構成するというものであった。現実に基づきながら普遍性を求めるというのは、イタリア的な特性である。そしてプッサンは、生涯を通じて原則的にごく少数の知識人を対象として、その私邸で精神を愉しませるような小画面を制作した。その油彩画作品は、ほとんどすべてが聖書、聖人伝、神話、古典を主題とする歴史画で、200点余りを数える。プッサンの芸術的展開について考えてみると、1624年のローマ行きと、1640年のパリ滞在を節目に3つに分かつことができる。1640年までは、イタリアの人文主義のために神話画を制作しているが、さまざまな様式を試みつつ自己の様式確実をめざしている。それ以降はフランスのブルジョワジーを顧客に、宗教画を、そして晩年は神話や聖書の主題を点景とする風景画と取り組む。プッサンの個性的様式確立の指標となるのは、1640年のパリ滞在をはさんで前後に成立する<七つの秘蹟〉連作である。画家はここで、カトリックの重要な教義である七つの秘蹟を、その原点となる<キリストの洗礼〉やくマリアの結婚〉といったおなじみの主題を七点合わせて表現した。二連作は、それぞれの秘蹟について見ると、ほとんど同一の主題を取り扱っている。けれどもふたつめの連作は、主題選択の適切さ、時代考証の正確さ、人物構成の緻密さ、人物と背景との緊密な組み合わせ、そして厳格な幾何学的画面構成という点で進境著しい。何よりもそこでは、理性によって秩序と調和が支配し、恣意性や無駄が一切省かれている。それこそがプッサンを特色づける古典主義的性格であり、ラファエルロと区別されるフランス的特質である。プッサンは、さらに1650年の自画像において、主題が歴史画でない場合にも、均質な古典主義的絵画理念を造形化している。さてフランスの美術アカデミーは、フランス国家と国王ルイXIV世に栄光をもたらすような、偉大で高貴な国家芸術を育成するという使命を担っていた。その指針となったのは、アカデミーに先立ってフランス的趣味を開花させたプッサンの古典主義様式であり、ベルローリによって体系化された古典主義美術理論であった。フ゜ッサンをはじめとするフランス精神は、イタリア・バロックの感覚的で激しい生命感のみなぎる様式と対峙することで、いっそう秩序を好む合理主義的傾向を自覚したのである。-134-
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