4.今後の課題玄柏原鋳物師埼玉県狭山市柏原の地に,室町時代中頃から江戸時代初期にわたって活動した鋳物師集団。その祖は大和郡山出身の槍鍛冶増田正金(応永32年没)が当地に来住したことにはじまると説き,来する。具体的な遺品としては,文明元年(1469)同地長谷川家懸仏を初見に天文,永禄,元亀,天正,慶長,寛永と各年代を通じて懸仏や鰐口,仏像等の作品が確認されている。代々神田姓を名乗っており,神田鋳物師の別名もある。また,永禄8年(1565)および天正7年(1579)の柏原鍛治宛北条氏照印判状が入間市新井家に伝えられていることから,鋳物師とともに鍛冶の業も併せて行っていたことが知られる。*金屋鋳物師室町時代後半から近代初頭まで埼玉県児玉郡児玉町金屋の地で活動を続けた鋳物師集団。埼玉県立博物館蔵の長享2年(1488)懸仏を初見に,天文年間から元和年間に及ぶ懸仏や鰐口,鉄燈籠等の作品が知られており,エ人名により中林,倉林両姓の鋳物師がいたことが明らかにされる。倉林家には戦国期の後北条氏発給の伝馬手形二通が伝来しており,当時かなり活発な活動をしていたことがうかがえる。以上のほか,建武年間から応安年間にかけて梵鐘,雲版を製作した金刺姓の鋳物師や寛正4年(1463)に東京・秋多町小宮神社鐘および青梅・友田御嶽神社鰐口を製作した大工小河郷重能等の存在が知られているが,その実態については今後に期したい。1年間という短期間であったため,資料の収集や実地調査が不十分のままに終わってしまったのが実情である。今後は,より詳細なリストと調査カードの作成に力を注ぎたい。また,既に所在を失した資料の銘文の収集も今後の課題である。さらに,近年各地で発掘されている中世鋳造遺跡との関連についても調査研究を進めて行きたいと考えている。「金山神」の名を刻む永享元年(1429)懸仏が増田家に伝141-
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