⑬ 中世における和歌と絵画の関係研究者:大阪大学文学部美学科助手片桐弥生研究報平安時代において和歌と絵画は,倭絵屏風と屏風歌の例をあげるまでもなく,密接な関わりをもって発展してきた。しかし両者の関係が中世以降,どう転換したかは未だ明らかにされていない。本調査研究は,扇絵を中心に,これらが室町時代どのように人々に和歌とともに享受されていたかを,主に当時の文献から検討するものである。最近紹介された一連の「扇の草紙」と題される作品をも考慮に入れながら,近年新出の続く室町時代の和画系扇面の内いわゆる「景物画」とされるものが,当時どのように鑑賞されていたか考えていきたい。扇絵は言うまでもなく古来,和歌とともに鑑賞されてきた。『後撰和歌集』巻十四には源庶明(903■955)が昔の恋人に文のかわりに「扇に高砂のかたかきたるにつけて」遣わした和歌が収録されている。このように,扇に和歌を書き人に送るといったことは,しばしば行なわれていたらしく,和歌の詞書や物語に散見される。この場合「高砂」という名所を描いた扇に書かれた和歌は,描かれていたであろう「高砂」の景物である「松」や「鹿」を詠み込み,恋人への想いを訴えるものとなっている。室町時代の和歌集,漢詩集,日記類の記述を検討した結果,当時の扇絵も多くは和歌や漢詩とともに鑑賞されていたことが明らかとなった。和歌集,漢詩集には扇絵の賛として作られた和歌,漢詩が頻出する。また,能書で知られる貴族の日記,例えば二条西実隆(1455■1537)の日記である『実隆公記』には,諸方から所望され扇に和歌を書くという記述がたびたび見られる。和歌を添えた扇は,地方におもむく貴族や連歌師にとって格好の土産物だったらし<,5本,10本とまとめて和歌を所望している。これら扇に書かれた和歌がどのようなものであったかは,大きく2種に分かれるようである。ひとつは,扇絵を見て自ら詠んだ和歌を書く場合である。和歌集,漢詩集に賛として載せられるものはこちらに当たろう。その場合,描かれた扇絵の景物をなにかの形で詠み込んでいるのは平安時代と同様である。例えば正徹(1381■1459)の『草根集』には次のような和歌が見られる。同比にや(永享十二年)泉州松尾寺の児のかたへ扇つかわす事ありしに,おもてのかた松に雲,うらのかたに塑あり-148-
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