鹿島美術研究 年報第7号
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4.そらにこそ月日もめくれさのみなと5.いかにうき世々の契りの残りきて6.人もおし人もうらめしあちきなく452号,「室町後期における絵画制作の場」『美学』160号)が興味深い。「扇の草紙」には元秋風ふけはちる涙かな(千載231)むなしき年の身につもるらんいまもつらさにむすほ、るらん世をおもふゆへに物おもふ身はこれらはそれぞれ勅撰集に収録されている和歌であり,本来の部立てでは春,夏,秋,冬,恋,雑に含まれている。おそらくは扇の絵とも何らかの関わりのある和歌が選ばれたのであろう。1では山桜,2では郭公,3では紅葉などが扇絵として描かれていたのであろうと推測できるが,4, 5, 6の和歌などでは,和歌のみでは何が描かれていたかは知るべくもない。このように当時の扇絵に古歌が記される場合,それは必ずしもある特定の絵に特定の和歌が結びつくわけではなかったと考えられる。むしろ扇絵を見,そこに描かれている景物から様々の古歌のイメージを引き出しつつ,鑑賞したのであろう。扇絵と古歌との結びつきを考えるという点では,最近並木誠士氏によって紹介された「厨の草紙」と呼ばれる一連の作品(「高津古文化会館蔵『扇面草紙』について」『MUSEUM』和頃に出版されたいわゆる嵯峨本の一種があり,またそれ以前,室町末期以降の制作と考えられる写本が現在では6点知られている。いずれも本来は冊子装であったと考えられるが,画面上に扇絵を描き,そのまわりにはそれぞれの画面に適した和歌を散らし書にしている。このうちの数作品を調査する機会を得た。それぞれの内容についてはここでは触れないが,問題はこの草紙が当時の実際の扇絵を,どの程度反映しているかであろう。これは「扇絵の見本帳のような書物」(赤瀬新吾「扇と和歌と」『国語と国文学』772号)というよりは,扇絵の形態を借り,和歌と絵との様々な組合わせを楽しんだ作品と言えるのではなかろうか。例えば山を3つに傘を描き「三笠山」,競と傘を描き「昔鳥」といった語呂合わせ的な発(続千載702)(新千載1573)(続後撰1202)-150-

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