鹿島美術研究 年報第7号
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II II " 0(1)大方鼎(Hl: 2) 1982年鄭州向陽『文物』1983年第3期(2)尊(Hl: 3) 0(3)尊(HI: 4) (4)幽(HI: 5) 0(6)幽(鄭博0243)1968年鄭州二里岡(7)鋳(榮465)1976年鄭州榮陽体育場(8)爵(C8M2: 8) 1955年鄭州白家荘2号墓(9)爵(鄭博0050)1958年鄭州(12)益(鄭博0059)1958年鄭州南関熊耳河0(14)罪(鄭博0156に近似)婿が登録番号杜嶺IIIであることが確認された。この婿は出土の時杜嶺III方鼎の器内に置かれていたもので,この点が確認された意義は大きい。杜嶺II方鼎は通常の陳列室でケース越しの実見であったが,館員の方の助けをいただき,内部もよく観ることができた。但し写真撮影は不可なので,観察記録のみにとどまった。尚この鼎は中国歴史博物館現蔵の大方鼎と対を成すものである。そのほか許順湛(名誉館長)・任常中(副館長)両先生,侯暁紅女士(技術部工作)の御配慮をいただき,青銅器の著録との照合に助力を得,その内容に確信をもつことができた。鄭州市博物館:14点(10)爵(鄭博0049)(11)爵(鄭博0056)(13)籐(銘功路M2:8) 鄭州市博物館では趙清先生の御配慮をいただいた。ここでの最も大きな収護は(1)の大方鼎を実見できたことである。この方鼎は河南省文物研究所の大方鼎と対を成すものであるが,今回ここを訪れるまで現蔵場所をつかむことができなかったものである。4点の大方鼎は装飾意匠がほとんど同じであるが,鋳造技法は大きく二通りに分かれるもようであり,装飾意匠と技法の問題から注目しているところであるが,HI:2の大方鼎はそうした意味でとくに問題をもつものなのである。写真撮影は不可のため観察記録をとることに専念した。鄭州市博物館では1988年10月(河南省文物研究所に同じ)以来陳列替えや陳列点数の増加があり,0印の4点の青銅器が新たに加わっていた。1982年鄭州向陽『文物』1983年第3期-154-II II II II 河南(一)七ニ河南(一)六七II 八六II II 五九II 六一II 四八II-五(5)孟(HI: 6) ”

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