二里岡上層期青銅器の装飾について1974年鄭州杜嶺張砦南街出土の大方鼎2点:杜嶺I現蔵中国歴史博物館・杜嶺II現蔵河南省博物館,1982年鄭州向陽回族食品工場出土の大方鼎2点:Hl:2 現蔵鄭州市博物館•Hl:8 現蔵河南省文物研究所の4点の大方鼎から,装飾意匠と鋳造技法の深い関係が浮かび上った。4点の大方鼎はいずれも器高80cmを超える大器であり,装飾意匠はほとんど同じである。4点の方鼎のうち,Hl:8は最も詳細な観察の機会を得たものであるが,その造形は非常に破綻が多い点で突出している。それは鋳造上の破綻そのものであり,外苑分割はどのようであったか,鋳造はどのような手順で行われたかなどについて豊富な手懸りを提供している。この1点を含む3点の大方鼎の実見観察,4点の大方鼎の報告文献,大方鼎の鋳造技法方面に言及のある論文などを通してその鋳造法の概要にふれたところ,器体全体の装飾意匠の大きな骨組みは,外苑分割と分鋳という鋳造技法上の手法と深くかかわっていることが窮われた。美的感覚や文様の意味の問題など,表現上何らかの意志を反映していると思われる装飾意匠はそのほとんどが,大きな骨組みの中の充填材として存在している。この骨組みはその後,鋳造法の変化により必然性を伴わなくなった商後期の方鼎にも受け継がれ,方鼎の装飾意匠の一形式として強い支持を得,定着するのである。大方鼎の装飾意匠は鋳造技法と深くかかわっており,鋳造技法は装飾意匠の形成に深く関与している。両者のこの関係は詳細に検討する価値があり,これらを骨子として大方鼎の造形に関する小論を執筆中である。そのほか,今回手にとってみることのできた小さな青銅器からも,技法と意匠が深く結びついていると思われる例が見い出された。装飾文様のーモチーフ円文についてである。それは新鄭県文物保管所蔵の爵(1974年望京楼出土,河南(一)ー0)の観察が契機となった。著録ではこの爵は無文とされている。実見の結果,三足のうちの一足の付け根の器腹の外壁上がほぼ円形状に大きくやや盛り上がっていた。その形は,周縁の一部がややへこみ,内壁側は械くゴテゴテと突出していて如何にも表裏から補強の役割を果させたものと思われ,確かに文様とは言い難い。しかし,やや整った器形から制作時期がこの爵より下がると思われる他の青銅器にも,やはり厚みをもたすという補強の役割を果していると思われる円形が,ときにその役割をもたないと思われる脚間の位置に薄く浮き出た円形を伴いながら認められるのである(例えば今回実見の中では故宮博物院青銅器館の商代前期青銅器中の罪)。まさに技法上の解決策から装飾意匠の誕生した瞬間ではないか。装飾のこのモチ-156-
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