ーフについてはしかし,更に綿密な検討を加える必要があろう。今回の実見では,総じて制作時の補鋳や損壊などの点が目についた。こうした点も含め二里岡期青銅器からは鋳造技法上試行錯誤の中で制作されている状況が生き生きと伝わってくる。そして,少くとも大器である場合,またその形式の制作が初期の場合,或いは青銅容器の制作そのものが初期の段階などでは,その鋳造技法の装飾意匠に対する影響力は小さくないことが窮われた。青銅器の編年作業や他の素材の遺物からの影響関係なども見,更に各器の詳細な実見観察を積み重ね,このような装飾意匠の原因の一面を追求してゆきたい。実見した青銅器にはしかし,技術的に問題の多い大器や三足器,三足器で左右非対称形の爵のほかに,基本の形が円柱であるごく普通の器形の尊・幽.甑・由などが含まれている。これらにおいては装飾・器形・技法みな完成度が高く安定した状態にあると言える。ここでは装飾は鋳造技法面から制約される部分は少いに違いない。むしろ意味の問題や美的感覚が器体の装飾意匠の大筋を決定し,商後期の豊かな造形性を育んでいったものと思われる。次はこれらの器形の青銅容器に積極的に取り組み,二里岡上層期青銅器の装飾に潜む別の面を引き出してみたいと考えている。二里岡期の青銅器は鄭州を中心に河南省が主要な出土地区である。その出土点数は装明相氏によれば200点以上,損壊の少い比較的完全な銅器は120点余りを数える(装明相「鄭州商代青銅器鋳造述略」『中原文物』1989年第3期)。この中には二里岡下層期のものや武器など容器以外のものも含まれる。筆者は52点の河南省出土の二里岡期青銅器を観る概念に恵まれた。ここから損壊の多いもの,二里岡下層期のもの,容器以外のものを排除すると41点ほどになる。今後も貴重な機会を有効に生かせるよう日頃の研鑽を十分に積み,に1点でも多くの作例を実見観察できることを願っている。本調査研究は1988年,90年の二回にわたり,内外の諸先生の暖い御配慮の下に順調にすすめられた。北京では前偉超先生(中国歴史博物館館長)に参観訪問を希望する各地の博物館に紹介の労を賜わり,王世民先生(中国社会科学院考古研究所)には同研究所と安陽工作姑における貴重な商代の遺物の参観の機会を与えられた。鄭州では祁本性先生(河南省文物研究所所長)に誠にきめ細かな数々の御指導御高配を賜わった。上海では馬承源先(上海博物館館長)より大方鼎だけでなく,中原とは異る風格の江南の青銅器の鋳造・造形上の特色についてスライドを交えて御教示いただき,青銅器研究の視野が広げられた。-157-
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