鹿島美術研究 年報第7号
186/312

むこととした。これまでの調査により収集された資料の概略並びに数量などを上記の項目別に挙げる。(1)のバルビゾン派の国内所蔵作品の調査は,版画を除き油彩・デッサン類に限ると総数約220点,そのうちミレーの作品70点余りの調査を行なった。作品の調査にあたっては,将来的な目的である,国内に所蔵されるバルビゾン派作品の総目録作成を念頭に置き,日本へ将来された時期に関わらず,調査できるものは全て記録するように心掛けた。(2)の模写作品は,黒田清輝によるミレー作品の模写など8点を調査。また鹿子木猛郎,向井潤吉など,その存在が展覧会目録などに見出されるが,所在不明で調査中の作品は約10点。期において20展観,出品数は計80点余り。中である。さて,先述した通り,今回調査したバルビゾン派作品の全てが明治及び大正期に日本国内に移入されたものであるという訳ではない。むしろ戦後日本にもたらされた作品の数の方が上回っていると言える。しかし,近年になって国内に輸入された作品の場合,明治・大正期の受容の実態を考察するに必要十分な資料を収集するという本研究の目的から見て,期間の点で直接的には無関係に見えても,一概に無視することはできないのである。というのも,作品自体に先行して,その作品の図版や記事等による紹介がなされているケースも少なくないからである。一例を挙げるならば,ミレ一のパステル画「駿雨」(個人蔵)は明治36年画報社発行『ミレーの画譜』に,また同じくミレーの「鏡の前のアントワネット・エベール」(村内美術館蔵,油彩)は大正3年発行の『現代の美術特別号ミレー評伝』に,既にして図版が掲載され,一般の目にふれるものとなっているのである。因みにこれを時間の推移から見て図式的に示せば,〔複製・文字情報の流布→実作品の移入〕のようになろうか。明治期は殆ど展覧会がなく,明治35年以降画集や『美術新報』などにおいで情報量が増加していくのであるから,〔情報・複製の蓄積〕のみといえる。そして大正期,特に11年以降実作品が展覧されるようになって,はじめて前(3)のミレー及びバルビゾン派作品が出品されたことが判明した展覧会は明治・大正(4)の文献等は,精力的に調査収集した結果,膨大な数に上っているため,現在整理-160

元のページ  ../index.html#186

このブックを見る