者の図書が成り立つようになる。さらにはこの逆の形態,即ち〔実作品の移入→複製・文字情報の流布〕という事態も生じてくる。このように(1)の個々の作品調査は,調査目的上,来歴,展覧会歴,言及文献さらには図版掲載文献の調査などと相互に補完し合いながら進められるべき性質を有しており,調査対象の4項目は,(l)の作品調査を中心として,有機的に連関して行なわれた。従ってここでは,現時点においては調査半ばであり,総括的な報告ができない段階にあることを予め断わったうえで,(l)の作品調査を中心にして断片的に新たに判明した事柄を幾つか報告する。先に述べたような作品受容の形態が一方にあるとしても,やはり,大正以前において誰により,どのような作品が直接的に移入されたかを明らかにする事も重要なテーマである。ヨーロッパから直接作品を輸入する,この役割を担ったのは,林忠正や松方幸次郎,大原孫三郎らの画商ないしコレクターであり,彼らは,更に国内にコレクターを殖やしていったといえる。林忠正は明治20年代,明治美術会展覧会を通じて,ミレーやルソーの実作品を出品し,我が国に初めてバルビゾン派の作品を一般の観覧に供した人物である。彼や将来した作品のうち,コローの「ヴィル・ダヴレー」(ブリヂストン美術館蔵)はその一つとして,広く知られている。新たな林忠正旧蔵品の発見は,遺族に所蔵されるテオドール・ルソーの作品である。次いで,大正期には,松方と大原のコレクションとがある。松方は,大正5年からロンドンにおいて作品収集を開始し,西洋美術品約2千点を収集,そのうち1,200点前後が戦前の日本に入ったと考えられ,バルビゾン派の作品は少なくとも80点はあったと見られている。今のところ我々は20点ほどの作品を確認している。図版をもとにその所在を調査中の作品は10点あまりある。松方コレクションに関する記事も,大正8年の藤島武二の見聞記(『中央美術』5-8)を皮切りに,数多く発表されるが,捕捉に努めた。また大原は児島虎次郎に収集の委託をし,160点余りの西洋絵画コレクションを築いた。しかし,そのうちバルビゾン派作品はミレーとコローが1点づつ含まれるに過ぎない(ともに現在大原美術館蔵)。大正末期には,こうした日本人による作品の移入が行なわれる一方,2人のフランス人もこれに参入する。エルマン・デルスニスは大正11年絵画約330点,彫刻80点を将来して,第1回仏蘭西現代美術展覧会(略称:仏展)を開いたのを始めとして,昭和6年まで10年間にわたって大規模な展覧会を催した。そのうち4回以降はデルスニス161-
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