鹿島美術研究 年報第7号
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⑪ 近代日本画の下絵の研究ー―—宇田荻郁を手がかりに一研究者:三重県立美術館学芸課長中谷伸生研究報告:中世の「岡屋兼経像」(京都高山寺)や「白雲慧暁像」(京都栗棘庵)のいわゆる紙形(下絵)や,西洋絵画のカルトンあるいはエスキース,さらにその他のデッサン類など,東洋と西洋の下絵類には,さまざまな共通点と相違点がある。また日本の下絵にも,日本独自の特質が見てとれる。今回の研究では,これら下絵の特質をめぐる問題を研究した。その手がかりに,三重県松阪出身の京都画壇の日本画家,宇田荻祁を中心にして大正期の日本画の下絵を調査した。大正期の下絵においては,しばしば本画をも凌駕する卓れた作品が見出される。たとえば,土田麦倦や村上華岳の下絵類の中には,西洋の芸術思潮の強い影閻によって,推測するところ,本画よりも下絵の段階で,より激しく創作意欲をかき立てた場合がしばしばあったと思われる。こうした背景を踏まえて,宇田荻邦の場合を調べてみると,大正期の荻祁は,同時代の画家たちと同様に,西洋芸術の影脚を強く受け,たとえばアール・ヌーボーあるいはゴーギャンらの作風と関連すると思われる「木陰」(大正11年)をはじめ,伝統的な日本画を刷新させるべく画技をみがいている。「太夫」(大正9年),「南座」(大正11年)などの表現性に主観的性格の色濃い作品群は,やはりヨーロッパのロマン主義の影靱下にあった華岳らの作品と共通するもので,思想的には「苦悩」を,造形的には「重厚さ」を追求する大正期に顕著な特徴を示している。ところで,これらの作品の大下絵を見ると,輪郭線などを決めるための無数の墨による線描が引かれており,その力強い素描の痕跡は,あまりに整理されすぎた本画には見られない,みずみずしい表現性を露に示している。たとえば,「太夫(下絵)」の場合には,髪や顔,それに着物の形態描写には,繊細な数多くの線描が引かれていて、その暗くて深みのある画面が示す一種異様な気味の悪さも,本画に劣らぬ迫力を放っている。下絵の「港(下絵)」(大正10年)では,本画のく暗さ〉は見られず,明るい下地に素描で淡彩力鳴iされており,その点では,「港」の本画と下絵とはまったく別種の作品と考えた方がよいかも知れない。その本画における夕暮れの闇の表現は,われわれの興味を惹くが,反対に,下絵の画面を走る細かい線描,たとえば漁船の帆柱に掛けられた無数の綱の顕えるような表現など,むしろ下絵の方が,感覚の鋭さと動きのある形態を表している。また,この下絵の卓163

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