鹿島美術研究 年報第7号
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さかざ目形のくぼみを入れる点に,この杵独自の特色が見出せる。これらの特徴も,後に広く,普及した鬼目金剛杵の形式とは,大きく異なっており,以後この系統は,「請来様」としての伝承を有するのが一般的なようである。金剛峯寺・五鈷杵(平安時代),東京国立博物館・五鈷杵(平安時代),個人蔵・五鈷杵(平安時代),観智院・五鈷杵(鎌倉時代),耕三寺・五鈷杵(鎌倉時代等の遺品は,まさに東寺・五鈷杵を踏襲したものであり,細見氏・五鈷鈴(平安時代)は,杵部にこの形式を導入したものである。・金剛盤は,盤面に三鈷杵及び輪宝の線刻図を施し,盤を支える三脚を忍冬文形に象ったもので,観智院・金剛盤(鎌倉時代)は,その「写し」である。また,線刻五鈷杵図は,鬼目の中央に花形を入れている点が注目される。この特徴が見られるのは,現存遺品では,施福寺・五鈷杵(平安時代)で,これも異形を呈し,請来品の可能性を残す作例の一として検討を要しよう。②の鈴身に諸尊を鋳出した金剛鈴は,すなわち「仏像鈴」と称される遺品である。これには,大別して五大明王や四大明王を鋳出する「明王鈴」,四天王を鋳出する「四天王鈴」,四天王に梵天・帝釈天を加えた「梵釈四天王鈴」の三種が見られるが,今回した遺品の中では,この種の「仏像鈴」に最も空海請来の伝承を有するものが多かった。なかでも金剛峯寺・独鈷四天王鈴,弥谷寺・五鈷四天王鈴,藤田美術館・五鈷四天王鈴,西国寺・梵釈四天王鈴などは,形式的にも,また鈴身所顕の四天王図像からしても唐代の制作として頷ける作例である(なお四天王鈴所顕の四天王図像及びその形式的諸特徴については,近刊の『美術史』誌上に発表予定)。空海の『御請来目録』には,もとより仏像鈴の記載は認められないが,あるいはこれらの中には,録外請来品としてもたらされたものが含まれている可能性も残される。この種の仏像鈴は,全体の装飾法が上記東寺・密教法具とは相違しており,以下に記すとおりその細部形式によっても全く別系統による資料群であることが確認される。形式的な特徴のうち,第一に注目すべき点は,脇鈷の基部に逆刺しと称する上向きと下向きの鋒(なお,以下では単に上向きの鋒,下向きの鋒と記す)を備えることで,既に調査に及んだ仏像鈴の九割以上に見られる。これは,正倉院伝来品や恵日寺,男体山頂出土品中のいわゆる念怒形三鈷杵や円福寺・銅鏡等に見られるものと共通であるが,この下向きの鋒は,後の金剛鈴,金剛杵における嘴形成立の大きな要因になったものと想定される。これが首肯されるなら,上向きの鋒は,同様に脇鈷の括れの先縦的形式と考えることも許されよう。実際,仏像鈴における上・下向きの鋒は,正智169-

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