院・五大明王五鈷鈴,誕生院•四天王五鈷鈴,西国寺・梵釈四天王鈴等の例に見られるように,しだいに鋭利さが減じ,短小になる傾向が認められ,鶴岡八幡宮・四鈴に至っては,下向きの鋒は,完全に嘴形に変わっているのを見ることができる。次に注目すべき点は,仏像鈴の鈴身部に見られる装飾のうち,四天王鈴では像間に三鈷杵文を配し,また明王鈴では東京国立博物館・五鈷鈴や醍醐寺・塔鈴の如く,基部に三鈷杵文帯を廻らすものが見出せることで,これは,後にわが国で流行する種子鈴(特に胎蔵界系の遺品)や三昧耶鈴に継承されてゆくものと見られる。種子鈴,三昧耶鈴の成立問題についても今後の研究課題である。③の異形式を示す法具では,近年紹介されて注目されるところとなった円満寺・三鈷杵,五鈷鈴があるが,このうち三鈷杵は,脇鈷の開きが大きい豪快な作例で,鈷の基部に人面(鬼面)を付け,蓮弁帯を縄紐で括るなどの特徴がある。空海請来の真偽はともかくとして,唐代の作例と考えて大過あるまい。五鈷鈴は,把の蓮弁帯を鬼目帯で括るなど異形を示す,三鈷杵同様豪快な作例であるが,蓮弁の整ったつくりなどから鎌倉時代頃の和製のものと考えられる。しかし,その制作の背後には,やはり請来法具が存在したと見るのが自然であろう。一方,天台系の寺院では,慈覚大師請来の伝承をもつものが散見される。この中で特に注目されるのが,飯食器や六器銑の側面に蓮弁飾りを施すもので,今回は,詳細な調査には及べなかったが,天台系の密教法具の一端を考慮する手がかりになるものと思われる。以上のように,請来伝承を有する密教法具を形式面を中心に分折すると,いずれもが同系統の遺品でなく,そこにいくつかの系統が存在することがわかる。これを端緒とし,さらに総合的見地から考察を進めることによって,わが国密教法具の成立と定着に関する事情は,ある程度系統的に説明することが可能となろう。これを今後の最終目標として,ひとまず今回の研究の報告としたい。-170-
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