鹿島美術研究 年報第7号
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をめぐる論議は,やっと緒についたところである。バシリカ式の建物は,明らかに数度の改築の跡をとどめており,至聖所部分の拡張に際し,今回調査対象とした堂内の壁画と同時期に描かれたはずの最も重要な至聖所部分の壁画装飾は損われてしまっている。ギリシア語銘文を伴うビザンティン様式の残存壁画は,主に中央身廊アプシスにむかって右手の列柱上部の側壁を占める,旧約聖書『創世記』に取材した説話図像である。アプシス祭壇側より身廊入口側へと展開される『創世記』サイクルは,シチリア島パレルモ郊外のモンレアーレ大聖堂のモザイクによる作例を即座に想起させ,装飾プログラム上,両者の比較検討を促している。一方,様式は,フレスコ固有の画法に通じた画工の存在を示唆し,明らかにバルカン半島側に残存する11,12世紀のビザンティンのモニュメンタル絵画に比すべき質を備えている。研究者の一部に,これらの壁画とギリシアはカストリアのマヴリオティッサ修道院聖堂の壁画とを関連づけようという試みがある。筆者は今回の旅程の中でギリシアの同地を訪ねた折,マヴリオティッサの壁画を詳さに見る機会をも得た。しかし,両者の壁画の一部に相似た特有のフィジオグノミーを見せる女性頭部などが認められるとはいえ,制作年,画工の出自に関し,両者の壁画を結びつけ得るほどの深いかかわりは持っていないように思えた。制作年の同定の問題は,今後の課題となるが,様式および画中の建築モティーフの処理の点から,制作には,12世紀の保守的資質のギリシア人画工が関与したように推定される。その様式は,コムネノス朝末期の首都系の幾つかの絵画の遺例がもの語る,激しい動感表現とか際立った自在な技量を見せているわけでもなく,むしろ自らが学んだ範を忠実に反復しようとする傾向にある。筆者は,この傾向の中に,大方の地方作例をしてビザンティン様式と呼びうるような中期ビザンティン絵画が共有する要素を感じている。既にイタリアの研究者が示唆しているように,アングローナの『創世記』サイクルに関与した画工は,アドリア海を越えて,直接バルカン半島側の美術をイタリア南部に持ち込んだ渡来ギリシア人である可能性は大である。サンタ・マリア・ダングローナ聖堂のビザンティン系の壁画装飾は,イタリア半島南部に類似の比すべき遺例をもたぬが,決して孤立した特殊な例ではなく,ロッサーノ近在のバシリオス派のサンタ・マリア・デル・パティレ,ビヴォンジのシチリアーノルマン系のサン・ジョヴァンニ・ヴェッキオなど,カラープリアに点在する殆んど堂内に壁画を残さぬバシリカ式聖堂のかつての姿をも暗示していよう。-172-

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