鹿島美術研究 年報第7号
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⑭ 後漢から初唐における銅鏡の金工史的研究研究者:財団法人黒川古文化研究所主任研究員西村俊範研究報告:製作年代が3世紀に及ぶと推定される最末期の漢式鏡としては,獣首鏡・菱鳳鏡・双頭龍文鏡・画像鏡・環状乳神獣鏡・対置式神獣鏡・同向式神獣鏡A式・同B式,重列神獣鏡があげられる。このうち,獣首鏡は魏の甘露5年(260)の紀年鏡があり,それが獣首表現がかなり便化した形式のものであることから,3世紀にその下限があるものと考えられる。菱鳳鏡は,最も新しい主文双菱で外周の円弧内に渦文・動物文が入る型式のものが,呉後期・西晋前半の墓葬から集中して出土しているので,その下限はやはり3世紀のうちに止まるものと考えられる。双頭龍文鏡は,最末期のIII式の初現が確実に後漢末期にあり,3世紀中にその製作を終了したと考えられる。画像鏡は,湖北郡城等の出土例を見る限り,その製作の中心はむしろ後漢代にあったと思われ,しかも型式的な変遷がほとんど考えられず,製作年代幅がかなり狭かったものと考えられる。環状乳神獣鏡は,最も新しい四神四獣・方格4字銘タイプのものに後漢の永康元年(167)・中平4年(187)の紀年鏡があり,出土例からも下限はやはり3世紀と考えられる。対置式神獣鏡は外区に銘帯を持つ紀年鏡が多数存在するが,その確実な下限は3世紀に収まる。外区に画文帯をもつものには,型式的に新しい方格4字銘タイプのものが極めて少なく,環状乳神獣鏡との比較からもそのほとんどは後漢代の作鏡と思われる。重列神獣鏡は後漢末期から呉にかけての紀年鏡が多数あり,その変遷の過程を詳細に追うことができるが,型式的変遷は3世紀で終わり,4世紀には続いていない。同向式神獣鏡A式は,最も典型的かつ一部の例外を除いて後出と考えられる型式のものに呉代後期の出土例があり,これより新しいものと思われる建武5年鏡型式と画文帯仏獣鏡型式のものは遅くとも4世紀前半の作鏡と思われる。従って後漢鏡の中では最も遅くまで残存していたと推定しうるが,その下限も4世紀後半に下るとは考えられない。同向式神獣鏡B式は同A式との対比から,やはり3世紀にその下限があるとえられる。以上の如く,後漢代から続く各鏡式は,同向式神獣鏡A式の一部を除いてその下限(1) 後期漢式鏡の下限-175-

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