格規矩四神鏡・菱鳳鏡・獣帯鏡),古い製作年代が考えられる中古鏡の埋葬が相当数にのぼっている。鉄鏡が急激に増加するのもこの時期の特色である。従ってこれらの現象を総合してみれば,この時期には新しい鏡式と認めうるような鏡式が創出されていなかったことは確実であり,そればかりか銅鏡の生産が質的にも量的にも極度に低下していたことが想定しうる。新しい銅鏡の生産が質量ともに不充分であったことが,中古鏡や鉄鏡によってその欠を補わざるを得ない状況を作り出していたものと考えられる。初期隋唐鏡には,文様の種類が極めて少ないという特色がある。限られた文様としてはわずかに四神・十二支・獣形・銘文(策書・楷書)・葡萄唐草文・宝相華文があげられる程度である。このうち後2者は西方伝来の文様で中国固有のものではなく,残りの文様はすべて等しく北朝後半の墓誌の文様と共通しており,そこから系譜を引いて鏡の文様となったことが明白である。その一方で,初期隋唐鏡には漢式鏡からの借用と思われる文様要素がいくつか認められる。例えば四神十二支鏡III式,四神銘帯鏡II式には,方格規矩四神鏡の方格規矩文のパターンが見られる。また,四神十二支鏡I• II式,四神銘帯鏡I式には,漢式鏡に普遍的な鋸歯文がそのまま受けつがれている。他に注目されるものとして,四神十二支鏡III式には外区の十二支文帯に画文帯の模倣が認められ,また鏡胎断面形も画文帯神獣鏡に極めて類似している。しかも画文帯神獣鏡との類似は,四神十二支鏡の獣鏡からの直接的継承ではなく,単なる模倣によって持ち込まれたものであったことを示していよう。また,隋墓からは,一を持つ環状乳神獣鏡の粗雑な模倣品すら見受けられる。しかし,これらの漢式鏡から借用された文様要素は,あくまでも個々の文様要素が他とは切り離されて採用されたものであり,従ってその文様のもつ本来的な意味・役割はこれら初期隋唐鏡では認められないか,あるいはあっても異なった形へと変形されている。このことは,初期隋唐鏡のエ人達が,個々の文様はともかく,全体的な鏡の文様配置・構成に苦慮し,漢式鏡の文様配置法をその本来の意味合いとは切り離した文様形式として借用せざるを得なかった事が示されている。鏡背文様を内外区に2分し,丸(4) 文様の断絶I • II式には認められず,III式において初めて出現する事実は,この類似が画文帯神_177_
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