鹿島美術研究 年報第7号
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2.「戦争の惨禍」1637年か38年に「戦争の惨禍」を描いた時には,ヨーロッパの政治状況の好転に対するルーベンスの期待はもはや過去のものとなっていた。既に政治の舞台からは身を引き,ステーン城で家族との私的な生活を享受しつつ芸術に専心するという恵まれた晩年を過ごしていたルーベンスであるが,ことヨーロッパの政治情勢に関しては,彼は平和の確立への希望を見いだすことができなかったように思われる。作品の意味内容は,トスカーナ大公の宮廷画家シュステルマンスに宛てたルーベンスの手紙(1638年3月12日)の中に記されている。それによれば,おおよその意味は次の通りである。マルスが,平和時には閉じられているはずの軍神ヤヌスの開かれた神殿を去り,愛の神ヴィーナスの制止をも振り切って,ペストと飢餓を伴う復讐の女神アレクトに先導されて,不和と災厄をもたらしながら前進する。生殖も親の愛も,学問,芸術そして建築物も,戦争の犠牲となって破壊されてしまう。ヴェールはちぎれ,飾りを奪われた,黒衣の女性こそ,長年の略奪と惨禍を被ってきたヨーロッパに他ならない(持物として十字架を載せる地球が添えられている)。愛の女神ヴィーナスの力によって戦意を和らげられたマルスが武装を解き,武器を置いてヴィーナスの傍らで眠りにふけるという画題は,しばしばイタリア・ルネッサンスの画家たちによって取り上げられた(たとえば,ボッティチェリやピエロ・ディ・コジモの作例などがある)。このモティーフは,古代詩人ルクレティウスの作品中に見いだされるものであるが,マルシリオ・フィチーノの新プラトン主義の哲学によって宇宙論的な解釈を受けるに至っていた。しかし,ルーベンスの作品においては,ヴィーナスとマルスの和合,あるいはヴィーナスによるマルスの制御ではなく,逆に,ヴィーナスの制止を振り切るマルスが戦争の寓意として描かれている点が注目される。それは,ポツダム新宮殿美術館所蔵のコルネリス・ド・フォスおよびルーベンス工房作とされる「ヴィーナスに別れを告げるマルス」と,それに関連して制作されたルーベンスの油彩スケッチ(1634-36年頃,ルーヴル美術館)にも見いだされる表現である。古代ローマの詩人スタディウスの「テーバイス」の中に,マルスの戦車の前に立ちはだかって進軍を思いとどまるように懇願するヴィーナスの描写が見いだされるが,あるいはそれが典拠となったのではないかという指摘もある。「戦争の惨禍」がどのような目的で注文されたのかは未だに明らかとはなっていない。トスカーナ大公の注文を受けたピエトロ・ダ・コルトーナが「四つの時代」連作のう-182-

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