3.「マルスと戦うミネルヴァとヘラクレス」1634-36年頃,ルーベンスは,ミネルヴァとヘラクレスによって象徴される平和を希求4.その他の作品に見る平和,戦争,暴力ち,「黄金の時代」と「銀の時代」の2点を描いただけで他の作品の制作になかなか取り掛からなかったために,ルーベンスに注文が出され,ルーベンスは「鉄の時代」として,この作品を描いたのではないかという仮説が出されているにとどまる。実際ルーベンスは手紙の中で,自分たちか「鉄の時代」という不幸な時代に生きていることを嘆いているのである。本作品がそのような人文主義的な思考の枠組みの中で,戦争の悲惨さを表現していることを看過してはならない。そこでは神話モティーフ等の使用により,戦争一般の悲惨さが表現されているだけで,如何なる具体的な権力も名指しで非難されてはいないからである。それはまさに外交官としても活躍した宮廷画家としてのルーベンスの慎重な配慮であったとも考えられる。「戦争の惨禍」においてヨーロッパの現状に対する悲観的な見通しを表現する以前のする諸力が戦争を推進せんとするマルスと戦う様子を表わした主題と取り組んでいる。この主題を扱った絵画は結局描かれなかったと思われるが,2点の油彩スケッチ(ロンドン,スピールマン画廊;ロッテルダム,ボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館,恐らく断片)と1点のグワッシュ素描(ルーヴル美術館)が伝えられている。この主題の存在は,ルーベンスが平和の実現に対して次第に懐疑的になって行く過程の,中間点の状況を雄弁に物語っており興味深い。以上に挙げた作例以外にも,ルーベンスは晩年の10年間に制作されたさまざまな作品において,戦争や暴力のもたらす不幸や,平和への願いを絵画化した。「ベッレヘムの嬰児殺し」(ミュンヘン,アルテ・ピナコデークと「サビーニの女たち(ロンドン,ナショナル・ギャラリー他)といった歴史画は,伝統的にこの問題への考察の機会を画家たちに提供してきた。またルーベンスは,1635年のフェルナンデス親王のアントウェルペンヘの入城行進のための装飾を請け負った機会に,戦争に疲弊した市の窮状を訴える目的で,「ヤヌスの神殿」(テオドール・ファン・テュルデンが版刻)という寓意表現を制作している。しかしこのようないわば上位カテゴリーに属する主題だけでなく,風俗的主題を扱った作品においても,ルーベンスが戦争の悲惨を取り上げたことは特に注目に値する。ルーベンス自身の手になる完成作は現存しないが,習作素描(パリ,ルクト・コレク-183-
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