鹿島美術研究 年報第7号
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煕十年1183)のそれに比して拙く,十分な効果を挙げていない。また大衣の左肩にかかる折り返しや拮の裾にみられる衣端の処理は複雑ではあるが煩雑でなく,知恩院本,河南省・少林寺蔵三教聖像(金大安元年1209)の形式的なそれに比してより自然さが感じられる。一方,京都・清浄華院蔵阿弥陀三尊像では大腿部の衣文や彙の描法に衣の下の肉身の起状を表そうとする進んだ表現がみられるか,本図には未だそのような表現意識は希薄である。この清浄華院本には,尊像の和やかな面貌やくつろいだ体勢,薄塗りの賦彩,尊像を画面に比して小さく収めた構図などにも穏やかさや自然な空間を表そうとする志向があらわれている。沈括(-1095)の『夢淡筆談』(巻十七書画)によれば,北宋末の仏画において光の表現が既に大きな関心となっていたことが窺われるが,このような自然主義的な意識が絵画表現として完成されたものの一つが清浄華院本とすれば,金蓮寺本にみられる表現は未だ過渡的なものと位置づけられる。適切な比較作品を欠くため本図の制作年代が12世紀のいつ頃まで遡るものかはただちに明らかにしえないが,古様を伝えるものといえよう。二.逆手来迎印についてさて所謂逆手来迎印を示す阿弥陀の図像が中国においていつ頃成立したものかは詳らかでないが,本図は,その成立を喩法師の伝承を容れて十二世紀前半に遡るとすれば比較的早い遺例に属する。また現存する宋元画やその写しとみられる鎌倉絵画などによればこの印相には左手の構える向きや左右手の捻じる指の組合せにより数種類の変化形式があり,本図の印相の類例には南宋画の写しとみられる奈良・阿弥陀寺蔵観経十六観変相図の第十三雑想観の阿弥陀三尊像などが挙げられる。わが国におけるこの図像の影特は,制作年代の明らかな遺例では建久八年(1197)の兵庫・浄土寺蔵阿弥陀三尊彫像に始まる。この像については重源の『南無阿弥陀仏作善集』に「奉為本様画像阿弥陀三尊一鋪唐筆」とあることから請来画像に基づくものと知られることも興味深い。浄土教が汎宗的性格を有し,日宋共通の宗教的基盤であったことが,このような新図像の摂取を容易にしたであろうことが推測される。今後はこれまでの基礎的調査の成果を踏まえて直接的、形式的な影特からより高度な受容の問題へ考察を及ぼし,ひいては鎌倉時代の浄土教美術の特質を明確にすることを課題としたい。191-

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