⑬ 扇面画における伝統と創造—Y家蔵・幸若舞曲等扇面画帖の場合ー(中間報告)研究者:武蔵野美術大学助教授佐野みどり研究報古代・中世の世俗画遺品は,決して多いとは言えない。こと問題を扇面画に限るならば,中世前期までの遺品例は,僅かに「扇面法華経」「厳島社小形檜扇」「同歌絵檜扇」(以上12世紀)「熊野速玉社檜扇」(1392年頃)など数点を数えるに過ぎない。しかし,近年,幸いなことに室町期の作例の紹介が相次いでいる。実際,文献からも室町期に扇面画の制作が盛んであったことが裏付けられる。しかも注目すべきは,専門画人による扇面画制作に言及する文献資料が少なくないことである。平安・鎌倉期においても,日常の,また晴の,用具や装身具として,さらに贈答品として,扇がおおいに使用されていたことは確かであるが,扇面に対する自律的な画面形式としての認識が,専門画人にとっても鑑賞空間にとっても浸透するのは,室町時代であったと言ってよいだろう。絵巻等の画中画資料で見る限り,平安・鎌倉期にあっては,通常の紙扇の図様はすやり霞風の層雲をあしらった文様的なものが主流を占め,量産品であったことが推定される。もっとも『枕草子』での「中宮定子が日向に下る乳母に扇を贈る」の逸話から判断される如く,貴顕の家の用命を受けて,専門絵師が特別な図様を描く場合もあったことは充分考られる。しかし,それが絵師の作画活動にどれほど積極的な意義をもったかという点に就いては,悲観的にならざるを得ない。この時期,扇面は,いまだ充分に独立した絵画作品として,換言するならば,純粋に鑑賞を前提として,制作するには至っていないのではないだろうか。猶,付言すると,このような副次資料において扇面の図様が明確な絵画的構成をとるのは,鎌倉末から南北朝にかけてであるが,それらの多くは料紙装飾的な工芸技法が凝らされていたり,図様のパターン化が顕著であったりし,これもまたその制作が扇プロパーの職業集団(扇屋)に委ねられていたことを推定させる。いわば仕込絵であったと言ってよいだろう。『とわずがたり』の「評判をとっていた扇絵描きの町の女を後深草院が召し寄せる」という逸話は,鎌倉末期当時の扇制作の実状と,そうした仕込絵に飽き足らず〈絵画性〉を希求する動きがあったことを窺わせる。このような量産され広く流通する扇面画が,時代の絵画動向と全く無関連であったとは考えられず,扇は時代様式の卑近な伝達手段という機能をも果たしたであろう。事実,室町期に入ると,副次資料に見る-192-
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