鹿島美術研究 年報第7号
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p.48, l. 6■p.49, l. 2)。海女は船にたどり着く寸前,その龍に両足を食いちぎられる。る(no.14'p.44,l. 7■l.10)。彼の海女の苫屋に宿をとった鎌足は,旅の宿りの寂しさl.10■p.45, l. 2)。鎌足が自分の素性と房前の浦にやって来た理由を打ち明けると,海l.13■p.48, l.l)龍王達は聴聞せんと巻族を従えて海底より出て来た。そこで国中の稚(no. 9'p.48, l. 2■l. 5)。その間に,海女は再び龍宮界に行き「宝珠」を盗み出す。万戸将軍は,龍宮の謀り事であったと悔しがるが致し方なく,残りの宝を奈良の大織冠・鎌足のもとに届ける。鎌足は大いに喜ぶが,娘の手紙にあった「無碍宝珠」が無いことを怪誇に思い,万戸将軍に子細を訊ねる。事のあらましを聞いた鎌足は,「無碍宝珠」が奪われたことを無念に思い,万戸将軍の帰国の船に同船して,事の起こった房前の浦を見に行くが,もはやどうしようもなく,いったんは帰京する。しかし諦めきれず,身をやつして再び房前の浦に下り,彼の地で二十歳ばかりの海女を見染めに契りを結び,いつしか三年の歳月が流れ,二人の間には若君も生まれる(no.7'p.44, 女の妻はわが身の卑しさを恥じて,海に身を投げて死なんという。鎌足は,死を覚悟した身であるならば,同じくは我が為に龍宮に行き,「無碍宝珠」のあり所を見て来て欲しいと頼む。海女は承諾して波間を分け入り,七日後に戻って来る。そして語るには,龍宮では「宝珠」の為に殿をつくり八人の龍王が堅く守護しているので,とても取り返すことは出来まいと,きっぱりと思いきるようにいう。鎌足は「宝珠」の有り所が知れたからには,龍王をたばかって取り戻さんと,策を巡し,再び龍宮界に分け入ることを妻に頼む。その策とは,海の面に極楽浄土もかくばかりといった趣の舞台をつくり,舞と管弦で龍王達を引きつけるというものであった。鎌足はまず都からの舞の師を召し,船を寄せ集め舞台をつくらせ,旗鉾を立て並べ大太鼓を据え曼幕・玉すだれを飾らせた。僧正達が唐鈴を打ち鳴らすと(no.8'p.47, 児たちに身を飾らせ舞を舞わせると,龍王達は見とれてこの浦で日をおくってしまう。しかし「宝珠」を守っていた小龍に見つかり,追いかけられる。待ちもうけていた船では,鎌足が剣を抜き,海に躍り入ろうとするが,人々にとどめられてしまう(no.10'むなしき死骸を引き上げると,胸の間に傷があり,「宝珠」が隠されていた。鎌足は妻の死を悲しみ,若君をその母の死せる体に添えさせる。むなしき乳房を口に含むその若君の姿に人々は皆涙したのであった。(no.11'p.49,l. 3■1.13)。この奪い返した「無碍宝珠」は,后の手紙にあったように興福寺金堂本蒻の釈迦如来の眉間にはめ込まれた(no.13'p.49,l.15■p.50, l. 1)そうである。197-

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