す(no.36'p.539,l.15■p.540, l. 3)。宮は人々が酔い臥した夜更け,為冬を案内に女ぶ(no.37'p.540,l.11■p.541, l. 2)。38'p.541, l. 5■ 8)。宮は女房が徳大寺左大将とすでに約束かあったことを思い,心l. 3■7)が,聞き覚えのある琶琵の音がする。武文は垣の破れより内に入り,宮の使め覗き見ると,美しい女房が琵琶を奏しているのであった。ちょうど有明の月は雲間よりほのかにさし出で,御簾を高く巻き上げたその様は,まるであの橋姫の絵のようであった。宮は夢にでも会いたいと願った,絵姿に違わぬ女性を見つけたと立ちつくし覗き見る(no.33'p.538,l.10■p.539, l. 3)が,女房はこれに気付き,奥に入ってしまう。またもや出てくることもあるかと,宮は待ち続けるが,夜更けて格子を下ろす音もしてきたので,やむなく還御されるのであった(no.34'p.539,l. 3■ 6)。一条中将為冬は,彼女が今出川左大臣きむあき公の娘であることをつきとめ,歌会にことよせて今出川の邸を訪れることを勧める。おりよく歌会があり,宮は為冬を同道してきむあき公のもとを訪れる。歌会果てて後,宴がもうけられ皆,杯を酌み交わ房のいる西の対へいき垣間見をされる。女房は花紅葉の屏風を引き廻しかすかな灯のもとで,その日の歌会で人々が詠んだ歌の短冊を見ていた(no.36'p.540,l. 4■10)。その美しさはたとえようもなく,宮はこらえきれずに部屋に入り,女房と契りをむすその後,宮は人目を忍んで女房と消息を交わしていたが,ある時,式部少輔秀房という儒者を召して貞観政要を読ませたところ,秀房は,唐の太宗がある娘を宮中に召そうとしたが,婚約者がいる娘であるとの諌めをいれて諦めたという故事を語る(no.中恋しく思いながらも文を交わすことすら止めてしまう。しかし徳大寺は宮と女房のことを伝え聞き,他の女性のもとに通うようになったので,宮ははばかることなく文を通わし,ふたりは浅からぬ仲となった。しかし十月も経たぬうちに政変がおこり,宮は土佐の畑に流されることとなった。御息所は都にひとり留まり,明け暮れ嘆き悲しむのであった(no.l7'p.542, l. 4■ 5)。宮も土佐で嘆き暮らしていたが,司ぱ情けある者で,ひそかに御息所をお迎えなさいと勧める。宮は喜び,武文という供の者に文と庄司から贈られた絹を託して御息所の迎えに上らせる(no.39'p.543,l. 2)。武文が急ぎ都にのぼると,屋敷は荒れ果てて寂しいたたずまいであった(no.40'p.543,いでお迎えに来た由を語り,御息所に文を差し出す(no.41'p.543,l. 9■15)。やがて出発となり,武文は輿などを用意し(no.42'p.544,l. 1■2),尼崎まで下り,渡海の順風を待つこととした(no.43'p.544,l. 2)が,同じく京より田舎に下ろうとして風を-201
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