3.性格も涙を押え罷りでるのであった(no.58'p.551,!. 3■ 8)。御息所の舟は,む嶋に漂着し,漁人たちの介抱を受ける(no.57'p.549,l.15 p.550, l. 2)。一方,宮はこうした出来事を知らず,御息所の身を案じていた。ある日,警護の武士が「阿波の鳴門での舵に美しい絹が掛かったが,定めし上臆女房が田舎へ下ろうとして難風にあい海に沈んだのであろう」と話をしているのを聞き,もしやとその絹をご覧になる。まことそれは,武文に託した絹であった。宮は絹を顔に押し当て嘆かれる。その絹を調進したは,その絹が舵に掛かった日を御息所の忌日に定め,みずから写経され御息所と武文の菩提を弔う(no.59'p.551,l. 8■11)。さて,その年から再び戦さが起こり,朝敵はことごとく滅び,ーの宮も都に帰ることとなる(no.60'p.551,l.13)。それにつけても御息所の亡きことが悲しまれるのであったが,淡路のむ嶋という所に御息所がいると風の便りに聞き,さっそくお迎えになる。二人は数々のつもる悲しみを語り尽くすのであった。(本文との対応でいささか問題が残るのは,no.17とno.60であろう。そこに描かれた情景を直接的に言語化している箇所は本文中には認められない。まず,no.17であるが,先述した如く,中央の女性-―おそらくヒロインと目される_の装束の文様は,no.33'no.36'no.37'no.43と同種であり,これが『新曲』に属することは疑問が無い。一の宮配流を都で見送る御息所と解釈したい。同様にno.60の図様も,場面比定の標識となるモチーフが明確ではなく,判断に苦しむものであるが,とりあえずは晴れて都へ帰る一の宮一行を描くものと考えたい。これも,テキストから自由に絵がイメージを膨らませた箇所と考えてよいだろう。)以上,各扇面の図様が物語のいかなる場面に相当するのかを明らかにしてきた。現況の画帖仕立ては,物語毎におおよそのまとまりを見せているが,その順は必ずしも正しいわけではない。場面比定にあたって,判断に苦しむものも数面存在するが,ほとんどの図様がテキストとの密接な関係を示している。三話ともストーリーの主要な展開はおおむね漏れなく図解されており,物語のあらましがよく知られていた時代にあっては,これだけで(文章表現がなされていなくとも)充分に物語の流れを逐い,楽しむことができたと推測される。とりわけ第三話『新曲』では,前掲のテキストとの対応に見る如く,出来事の推移を丹念に描写している。量的に見ても,『新曲』に振-203-
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