鹿島美術研究 年報第7号
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り当てた枚数,他二話の倍に相当しているである。それゆえに,これをストーリー表現の視点で見るとき,類似構図の反復やドラマを細切れにすることから生じている煩雑な印象は否めない。なかでも松浦五郎の横恋慕から船の転覆までの展開は,十三面が当てられ,場面選択の意志が奈辺にあったかを窺わせる。すなわち,この煩雑さとは特有のプロットに対する関心の強さの現れなのである。類似構図や類似情景の反復は,これほど圧倒的な量ではないものの,『大織冠』『大橋の中将』に於いても認められ,特に龍神との戦いや海上での法楽など『大織冠』での例は,同様に興味深い。三話とも本扇面に先行する絵画作品が存在し,図様の大枠はすでに定型化していたと推察できるが,そうした図様の伝統を踏まえながら,テキストのどの場面を選択するのか,物語のどこに重点をおいて絵画化するのかという点に関して,固有の選択意志が働いていると考えるべきだろう。異国風景や異類合戦の異郷性,海上の法楽・釈迦如来像の開眼供養,或いは凄惨な戦闘といった非日常性への偏愛がここには顕著に認められ,一方,源氏絵を思わせるような典型的な物語絵の系譜も濃厚に感じられる。もとより異類諏や貴種流離靡,その神秘性やエキゾシスム,貴賤の対比,劇的な展開という特性からして,目を奪うに足る造型が可能な主題であった。それ故に,とりわけ華麗な情景を含む物語が,俗に奈良絵と呼ばれる素朴な大衆向け作品から金や極彩色を使った上製本や扇面・色紙のシリーズ,そして屏風にまで媒体を広げたのがこの時代であった。なかでも扇面画の場合は,その画面形式の特性が,図様の定型という枠組みにあってもなお,場面の選択や構図に影響を与えることがあっただろう。本作品では,『大織冠』『大橋の中将』『新曲』といった主題の選定自体に,まず非日常性への志向が見られると同時に,とりわけ扇面構図にふさわしい図様が好んで選ばれたであろうことが推定される。さらに『新曲』に場面数を多く割いていることは,このストーリーが源氏絵の扇面画などに通底する図様を持ち得ることと無関連ではあるまい。六十面全体を通じて,その描写に共通する姿勢は,テキストに述べられている場面の逐語的な視覚化であるだろう。なかでも第三話『新曲』では,テキストでの情景描写の細部にこだわり,いっそう逐語性を強めている。例えば,no.36の図様は「……かいま見給ふに。ともしびのかすかなるに。花紅葉ちりみだりたる屏風ひきまわし。……ただ今人々のよみたりし。野の短冊とり出し」というテキストの描写にきわめて忠実-204-

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