鹿島美術研究 年報第7号
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変化のあった可能性は指摘されるであろう。千仏図について,その成立と初期の展開を研究対象とした関係もあって,考察は当面千仏の思想内容を明らかにすることを主眼としているが,総じて変化に乏しい千仏図も図像的には少なからず差異のあることも事実で,先にも触れたようにそれらを系統だてるにはなお資料不足ではあるものの,留意すべきこととしてここに掲げておきたい。いったいに中国の千仏図(壁画,浮彫を問わず)は,最初期の例から結珈訣坐通肩禅定印を例とし,他の姿態手勢にあらわされることは稀である。これに対してアジャンターでは第1,17窟の舎衛城大神変の化仏は,立坐,通肩偏担右肩の別の他,手勢も定印や転法輪印,施無畏与願印など区々であり,また第7窟のいわゆる千仏図も結珈鉄坐の姿態こそ同じながら,衣と手勢は通肩偏担右肩,定印転法輪印が交互する変化を見せる。こうした差異がひろく仏教美術一般に予想されるインドから中国に到る図像展開の帰結とし得るか,拠るべき説話あるいは思想内容の違いによるかは明らかでなく,これについては作例の年代論を含めさらに詳しく考察を要する。千仏の図像に関わっては,その仏座も注目される。すなわち,インドおよび中国の作例の大半は仏が開敷蓮華を座とするが,アジャンターや莫高窟の一部には茎の下方を一茎として多数に分かれた蓮茎・蓮華上に諸仏を配するものがあり,それを知られるようにヴィシュヌの謄に生じた蓮華からブラフマーが生れたとするプラーナに淵源を求めるか,これらインド固有の神話伝説の影聾を蒙りながらも仏教のある特定の思想を反映するものかは,たんに千仏の座の問題にとどまらず,ひろく仏教と蓮華,仏像と蓮華座等の視点からも検討されるべきである。以上,千仏と千仏図をめぐっては仏教美術史上から論ずべき種々の課題を有し,殊に従来この方面での研究の寡聞なことを思えば,それらの解明は安易でないことを知らねばならないが,掲げた課題は研究の緒とし得る筈であり,われわれとしてはさらに考察をすすめ,成果を今後に期す次第である。-211-

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