鹿島美術研究 年報第7号
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⑲ ルイ14世時代のル・プラン作「アポロンの間」装飾について研究者:東京大学大学院人文科学研究科博士課程大野芳材研究報はじめに17世紀のフランスで,ルイ14世の治世のもとで諸芸術が豊かな実りを結び,今日典主義と称される芸術が形づくられたことは,よく知られた事実であろう。話を美術の分野に限定すれば,その形成途上において,フランスの画家たちが,フランドル,なかんずく当時の美術の先進国であるイタリアから,おおくを学んだことについても多言を要しない。私たちの目的は,こうして生まれたフランスの美術の特質を,その形成の過程を辿る中で明らかにすることである。言うまでもなく,その実現には多くの調査と,それに基づく精密な考察が必要である。その作業の第一段階として,シャルル・ル・プラン(1619-90)に注目したい。彼はルイ14世の主席画家として,王立ゴプラン織工場の監督,王立絵画・彫刻アカデミーの院長等の要職を歴任し,創造の現場で多数の画家を動員し,また教育する中で,ひとつの美術のかたちを与えるのに大きな貢献をしたからである。多岐にわたる彼の活動の中で,室内装飾は最も規模が大きく,また彼の天分が充分に発揮されたものである。本稿では彼がルイ14世の下で活動を始めた最初期の作品であるルーヴル宮の「アポロンの間」の装飾を取りあげることにしたい。彼はイタリア留学を終え帰国してから,パリ市の個人の邸宅の室内装飾をいくつか手がけ,その代表的なものは,ランベール館の「ヘラクレスの間」と大蔵卿フーケのヴォーの城館である。これらはル・プランが留学時に学んだバロックの画家たち,ことにピエトロ・ダ・コルトーナの強い影響がみられる。こうした実制作を通しての経験をふまえて,彼が彼自身の理念の実現の第一歩として計画したのが「アポロンの間」の装飾なのである。すでに存在する室内装飾を充分に研究し,消化する上で生まれたこの装飾は,私たちの目的を実現する大きな手がかりを与えてくれるにちがいない。次にその内容を詳し〈検討することにしよう。(尚,以下の文章は,今回の調査に基づいて発表した論文「ル・プラン作くアポロンの間〉装飾について」『美術史論叢(東京大学文学部美術史研究室紀要)』6号(1990年)の第4章の全文である。註および図版の番号のみ改らためた。)212

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