鹿島美術研究 年報第7号
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12カ月は彼のデッサンに基づきジェルヴェーズが60年台半ばに実行し,「四季」と「夜1)は,海の神ネプトゥヌスとその妻アンフィトリテの結婚が表わし,ヒッポカンポループル宮の「アポロンの間」の装飾「アポロンの間」の装飾は,ルイ14世がル・ブランに依頼した最初の作品ではなかったが,その規模において,将来の国王付き首席画家として,王の野心的な建築の造営に伴う内部装飾の総責任者としての活動の端緒を飾るものとなった(I)。ル・ブランは天井をフリーズで区画された十一のおおきな場面に分割した(参考図参照)。今日の作品の配置をギャルリー入り口から順に見ていくと,入り口戸口上部に「大地の勝利」,そこからギャルリーの奥に向かって「夜」,「夕方」,天井中央大きな区画に「大蛇ピュトンを倒すアポロン」,「夜明けの星」,「曙」,そしてギャルリーの一番奥セーヌ川寄りに「水の勝利」が置かれている。「夕方」の両脇には「春」と「冬」、「夜明けの星」の両脇には「夏」と「秋」の四季が描かれ,さらに12カ月が入り口から順にギャルリー全体を取り囲むように,12のメダイヨンに表わされている。このうちル・ブラン自身の手で完成したのは,「水の勝利」と「夜」「夕方」の三点のみで,明けの星」それに天井中央の「アポロン」を除いて,すべてル・プランのデッサンに基づいて,かれの死後に完成された(2)。それぞれの作品を見てみよう。「水の勝利」(図スの引く凱旋車に乗るかれらの周囲にトリトンやネレイス,イルカなど海にちなんだものが描かれている。一日の始まりは空をかける「アウロラ」が表しているが,これはル・ブランのデッサンに基づき,1851年ミュラーか制作した。夜明けの星は「カストル」が示しているが,1781年にルヌーが描いた。この作品に対するル・ブランのデッサンは残されていない。中央の「大蛇ピュトンを倒すアポロン」(図2)はドラクロワが1851年に完成させた(3)。夕方は,夢の神「モルフェウス」が,そして夜は「ディアナ」が表しているが,この2点はル・ブランの手になるものである。入り口上部にはコリュバンテスたちに囲まれ,ライオンの引く凱旋車に乗るキュベレ,狩りの女神ディアナなどが「大地の勝利」(図3)を表している。これはギシャールがル・ブランのデッサンに基づき,1851年に完成させた。四季のうち「春」は1780年にカレがゼフィルスとフロールによって表わし,「夏」は1774年にデュラモーがケレスで,「秋」は1769年にタラヴァルがバッコスとアリアドネで,「冬」は1775年にラグルネ(弟)が風を送るアイオロスで,それぞれ描いたものである。四季に関するル・ブラン自身のデッサンは残されておらず,いずれも4人の画家たちが美術アカデミーの入会作品として提-213-

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