註(1) ル・ブランは1660年(もしくは翌年早々)フォンテーヌブローにいる国王の求の自身のプランを翻案した。分割された個々の場面は,空間を拡大するようなイリュージョンも流動感も生むように意図されていず,むしろ独立したタプローのように中央の大画面を中心に整然と配置されている。ストゥッコによる装飾は,描かれた壁面と複雑に反響しあい,幻惑的で豪奢な場を生み出すようには意図されてはいない。シャルル・ペローは『名士列伝』でル・ブランを「コステュームのある画家」としてえた(9)。コステュームは1662年のフレアール・ド・シャンブレーの『完全なる絵画について』のなかで,主題にふさわしい表現のありようと説明されているが(10),それはさらにこの時代に絵画の要諦として重要視されたユニテ,統一の原理にもつながるであろう。アロポンの間の装飾はまさしくその実践であり,後々フランスの古典主義として機能していく原理の,最も壮大な構想として企画されたのである。一組の作品を比較して,アポロンの間のこのような特質,さらにはル・プランを中心に当時のフランスの画家たちがかたち作ろうとしていた美術の性格を確認することで,本稿のまとめとしよう。ル・ブランの「アレクサンドロスの物語」連作のひとつ(11),「アレクサンドロスとダリウス」(図5)と,コルトーナの同じ題名の作品(図7)である。ペローはこの連作をかれの言うコスチュームが最もよく実現された作品としている。してル・ブランがコルトーナの作品を霊源にしているのはあきらかだが,ル・ブランの作品を特徴付けているのは,前景に置かれた右方向に逃げ去ろうとする兵士である。これに対応する人物は,コルトーナの作品にも描かれているが,はるかに小さく,画面左手のアレクサンドロスから右手の敗走するダリウスヘと流れる動きを伝えるひとつの要素にしか過ぎない。ところがル・ブランはこの人物に画面全体を統一する役割を与えた。この人物が全体の焦点となって,動きの激しい場面に統一感が生まれているのである。アポロンの間は画面中央のアポロンが意味において構成において焦点となって,広大な天井装飾が統一されている。イタリアの美術に学びながら,自らの美術を作り上げようとしたル・ブランの意欲の結晶がこれらの作品なのである。そして,それはル・プラン晩年のヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」の装飾のなかで,一層豊かな実りを結ぶのである。めに応じて「アレクサンドロスの前で詭くペルシアの女王たち」(ヴェルサイユ宮)を制作した。Guillet,op. cit., p.24-25.; Charles Le Brun, ChMeau de Versailles, 216-
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