鹿島美術研究 年報第7号
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(2) デッサンが残されていない部分についても,ル・ブランが四季やカストルなど(4) 四季をめぐる図像に関する研究は,いまだ充分になされていないが,シモン・1963, p.71-73.を参照。この作品が後にみる「アレクサンドロスの物語」連作をうむ契機となった。さらにサン・タンドレの版画集には,ルーヴル宮のプチ・アパルトマン・デュ・ロワを飾った作品として「政を行うルイ14世」が収められている。SAINT-ANDRE,op. cit., pl.2.ジュアンは1661年を少し過ぎた頃の作品としている。JOUIN,op. cit., p.433. で飾ろうとしていたことは,当時の記録が一致して認めるところである。(3) Lee JOHNSON, The Paintings of Engene Delacroix, Oxford, 1989, t. 5, p.115 -131, t. 6, pl. 51. ヴーエの2点の「四季図」(ダブリン,ナショナル・ギャラリー:グラスゴー,アート・ギャラリー)についてのw.クレリーの論考は,古代からルネサンス・イタリア絵画までの「四季」の表現の流れを追っており参考になる。かれによると四を特定の神(例えば,春をウェスス,フローラというように)と結び付けるうえで,ルクレティウスが重要な役割を演じたという。WilliamR. CRELL Y, "Two ンもゴプラン織の下絵に神々を用いて「四季」を描き,その内容についてはフェリビアンが詳細な記述を残した。A.FELIBINE, Les Quatre Saisons peintes par の問題は,今後の興味深い研究課題である。(5) Jules-Joseph GUIFFREY et Pierre MARCEL, Inventaire general des dessins du Musee du Louver et du Musee de Versailles, Ecole franraise, t. 7, p.111を参照。(6) Jennifer MONT AGU, "Le Brun et Delacroix dans la Galerie d'Apollon," dans Revue du Louvre, 1962, no. 5, p. 233-236.モンタギューはアポロンの間の全体の構想のなかで,天井中央の主題を問題とせずにドラクロワの作品をル・ブランの意図に適ったものとしているのは,本論のあとでも触れるように疑問である。(7) Franc;ois SOUCHAL, French Seuゆtorsof the 17th and 18th Centuries, II, Allegories of the Seasons by Simon Vouet and Their Iconography," dans Studies in Honor of H. W. Janson, New York, 1981, p. 401-424.またル・ブラM. Le Brun...., Paris, 1667.アカデミー成立後から18世紀にかけての「四季図」Oxford, 1981.を参照。_217

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