鹿島美術研究 年報第7号
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② 日本の女性肖像画申請者:東京大学文学部美術史研究室教授招致研究者:フランス国家公務員,文部省・国立美術館学芸委員,ギメ美術館日本美術部担当研究報告:ギリシャ・ローマの伝統を永く受け継ぐ西洋の画家は,現代に至る迄,女性の顔,肉体を賞賛してきた。プラクシテレスからルノワールに至る迄の西洋の芸術家はこぞって女性の肉体を観察し時代を同じくする女性の肖像画を通じて女性美の理想化に力を注いできた。キリスト教は処女に重要な役割を委ね,女性の顔の理想化への決定的な要因となり,女性の肖像画の優先発展上重要な役割を果した。イタリアルネッサンス期には,ギリシャ神話像を通じてギリシャ・ローマの巨匠を研究する事により堂々と女性の肉体を賛美した。これにひきかえ,日本の画家は,全く異なった独持の接し方をしている。即ち,女性の優美さは,その時代によって明確な定形をもって表され,又,重要な事として云える事は裸体像は江戸時代になる迄,全く見られる事がなかった。しかも,それは浮世絵に見られる様な,ごく簡略不出来な絵であり,およそ芸術からかけ離れたスタイルの春画の部類に属するともいうべきものであった。肖像画は個性を欠いたもので,しかも稀な例外にしか見られなかったのである(どういう絵画が西洋で云われる肖像画の部類に属するものであるかは後述する事にする)。実際のところ,日本女性表現として,その髪型や衣裳のみが変化しているだけで,一方顔はというと,その時々の流行の規準によって変わってきている。こういった事は唐代の中国絵画にも通じる事であり,当時の絵画に見られる全ての女性が楊貴妃によって放たれた流行の容貌,丸顔,小さな口,高く結いあげた髯,丸い肩を備えていた。この流行は日本にも渡来し,初期の女性画像に見られるものである。正倉院の樹下美人,薬師寺の吉祥天は女性を描いたものであるが,肖像画とは云えない。女性絵画は平安時代から室町時代にかけて様々な画風に現われ,室町の後期及び桃山時代には風俗画の製作を通じて徐々に重要な位置を占める様になり,やがて浮世絵の重要な画題となっていくのである。辻クリスチーヌ・清水惟雄-222-

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