鹿島美術研究 年報第7号
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これらの美人画は当時の有名な遊女を描いたものであったから往々にして肖像画というべきものであったが,絵師は,すらりとした体艦,顔,の理想規準の範囲内にとどまった。女性画像の移り変り女性画は江戸時代,大和絵しいては似顔絵から発したもので,女性画像の変化の永い過程を経た末に出現した。それと同時に公家と大名の妻女の写実的で多彩な肖像画が現われる様になった。大和絵大和絵の絵師によって創作された女性美の形,特に源氏物語風なものは葉月物語の部分にも用いられ,顔の個性化と,感情表現を全く欠いているのがその特徴である。それが誰であるかは,髪型,衣裳,容姿によって見極めるわけである。貰族階級の女性は,その社会の決まりによって顔面を人前に表す事がなく御簾や屏風の後か或いは儀式の際には牛車の中に籠ったまま人と話を交すのであった。これは数人の研究者が述べている様に主人公に自分を見たてる女性の願望と見るよりも絵師が実在人物をモデルに見たてない習慣からきたものであろう。造絵の絵師が創作したこのスタイルは,繰り返しの連続という致命的な行詰りにつき当る事になる。それに反して男絵に於ては表情や動作,特に庶民の有様が巧みに描かれている。宮中の単調でひっそりとした緩やかな生活内での緩慢な動きに相反し,戦,緞饉,病,課税等,生き残っていく上での様々な問題と取り組んでいく庶民の生き生きとした様子が対照的である。淡い色彩の中に引きたった墨描きのくっきりとした退しい線の中に似絵の写実的な流れと白描絵の流れの源が見られる。似絵似絵は平安時代末期及び鎌倉時代に肖像画芸術を変形していく事になる。源頼朝や平重盛の肖像画に匹敵する女性の肖像画は見あたらないが,白描絵には女性の肖像画が見られる。これらは封建高位高官,随身庭騎絵巻(小倉文化財団),公家列影図巻(京都国立博物館)に見られる肖像画と連なりをもったものである。これらの女性肖像画は三十六歌仙や歌合絵に現われるもので,小大君像(大和文華館)斎官女御佐竹本等,女性の容姿の移り変わりを描いている。或いは眼の変形等そ-223-

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