鹿島美術研究 年報第7号
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その他の大名の妻子の肖像画は,戦国時代のものであり,一般に上畳か高座に座しているか,手に珠数を携えた女性の肖像画である。筆者が調べる事が出来た限りのほとんどの肖像画は,独特な線による顔の個性化に留る事なく,又,絵師の意向による衣裳描写から見ても特に興味深いものである。辻ヶ原の技巧は,これらの肖像画のものである。その主な特色として次の四点があげられる。一人物の年齢表現や性格分析等に見られる中国絵画の規準での写実主義。ーしかしながら,鼻,口の形は日本的好みで簡素な線によって面貌描写している。一頬,顎,鼻梁の彩色によって重量感をもたせている。多彩への嗜好(特に衣裳の細部に見られる金銀泥)一描写人物が大名階級に属している事。風俗画,美人画室町末期から桃山時代にかけて,風俗画は一躍の発展を見る事になる。屏風や掛軸に見られる女性描写は,公家階級のそれだけにとどまらず,庶民の女性描写に迄及んだ。その中でも,湯女図は,容姿容貌の特徴が彼女達の属する社会階級を反映しており,真に表現絵画の生成という点で最も興味深い例を示している。本多平八郎姿絵(徳川美術館)の屏風についても同じ事が云え,これらの女性肖像画は,松浦屏風の様に次の浮世絵の到来を告げる実物大絵画を生み出した。寛永寛文(1624-1673年)には,当時の衣裳を着た女性の孤々の姿が,紙,絹地の掛軸に多彩画で現われる様になった。描かれた女性の背景には装飾がなく,その姿は,扇子を持って舞い立っていたり,片手を着物の袂に隠し,もう片方の手で小袖の端を持ち上げて立ったていたり,花束,花籠を手にして立っていたりで不動のものである。髪は兵庫儲に結い上げているか,中世から流行し出した後で結び束ねて背に垂らしているものかである。衣裳の意匠は,鹿子紋の雪輪,当時の雛形本に見られる摺箔,描絵,摺匹田鹿子,絵鹿子,絵鹿子紋等の流行の小袖の装飾技術のものが取り入れられた。顔はどれも似通ったものであるが,岩佐又兵衛によって創造された女性の容貌とは可成り異なっている。岩佐又兵衛の作品は,美術館,博物館で調査された作品により,更に研究を深めて-225-

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