2)デュッセルドルフ(11月23日〜28日)自体が中途から姿を消しており,現在,建物は残っていない。他方,かれらに関係の深い場所,たとえば画廊「シュトゥルム」ならびに「トワルディ一書店/画廊」の旧跡地を訪ねた。いずれも,いまはすっかり野原となったポツダマー街にあった。また和達の画題となったハーレンゼー・ブリュッケにも足をのばしたが,ここでも地形などから制作地点を判断することは不可能であった。デュッセルドルフでは,村山,和達,永野が参加した1922年5月の第1回デュッセルドルフ国際美術展ならびに国際会議に関連した資料の収集を行なった。まず,当時のヨーロッパの前衛美術家が一堂に会した観のあるこの出来事について周到な調査をもとにして綿密な考察を加えた唯一の研究論文を発表している,デュッセルドルフ美術館のシュテファン・フォン・ヴィーゼ氏と会見して,意見を交換するとともに,資料入手について協力も得た。とくに,同美術館の図書室で,この展覧会を主催した「ダス・ユンゲ・ラインラント」グループが発行していた同名の機関誌的な性格の雑誌,コピーでしか知らなかった展覧会目録を通覧することができたのは,大きな収穫であった。また,ヴィーゼ氏とは今後の研究上の協力についても合意した。さらに,この展覧会が開催された会場,ティーツ百貨店も市内で確認することができた。オルプリッヒ設計による外観は当時そのままであったが,内部は改装されており,残念ながら昔日の面影はまったく残されていない。また,調査期間中,デュッセルドルフのクンストハレでは,ロシアの構成主義,ウラジーミル・タトリンについての画期的な国際的シンポジウムが開催された。村山は帰国後,意識的構成主義を唱えるが,その関連論文「構成派批判」ではタトリンの仕を紹介するとともに,批判もしている。また1925年にはタトリンを戯画的な登場人物とした短編小説「或る戦一革命前期の芸術家に与へる比喩物語一」を『文芸時代』に発表している。このシンポジウムは,主だった東西の研究者たちが会する初めての催しであり,参加することにした。そこで数多くの研究者と接触することになった。ハンガリーの前衛美術に詳しいクリスティナ・パスート女史,ポーランド構成主義の研究者でパリ在住のアンジェイ・トゥロウスキ氏,ニューヨーク近代美術館のマグダレナ・ダブロウスキー女史,グッゲンハイム美術館のジェーン・シャープ女史等と意見を交換した。-241-
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