鹿島美術研究 年報第7号
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考え出した。釉といっても,古代エジプト,西アジア,中ン国などの本格的なガラス質の釉薬ではなく,鉄分を含んだ陶土の水溶液,つまり陶器を作り出す土と同質のものを使って,鮮やかな黒色で艶のある色を出したのである。今回の調査では,赤像式画法に特徴的な人物像を陶器の地肌色のまま塗り残し,周りを黒色に塗り込む画法(図1,3, 4)のうち,背景となる黒色のうわぐすりは基本的には薄く,表面に隆起は認められなかった。注目を引いたのは,次に見るレリーフ・ラインと重なることの多い,厚みをもつ隆起した帯状ラインの存在であった。このラインこそが,人物像の輪郭構成の基本線と見られ,新し〈ドイツ語で造語し,けた。る描法はレリーフ・ラインの始まりと時を同じ〈すると思われるが,アッティカ壺絵に固有な鋼鉄のように力強い,隆起した描線であるレリーフ・ラインの存在は,赤像式画法の創始者と見られる「アンドキデスの画家」の時代には未だ使用されていなかったことが判明した。アンフォラの破片(図3)は紀元前530年頃の作品で,アンドキデス自身の作品である可能性もあるが,端正な横顔を見せる少年の輪郭は,ラングロッツ\‘UmriBband”を名付"Umrillband''によ図3図4-245-

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