この公民館は明治維新の際に廃寺となった高田寺(浄土宗)の跡地にあり,ここには同寺旧本尊の木造薬師寺如来坐像を安置し,また鎌倉期に遡る石造五輪塔などを伝存して同寺の由緒をいまも維持している。昨年末,この薬師像を調べる目的で同所を訪れた際,壇上の隅の小さな厨子の中に黒ずんだ十一面観音を見いだした。斗帳をはずして取り出して見ると,予想もしなかった古仏で,力のこもった見事な彫像である。思いがけないことでしばし茫然としたが,ともかく薬師像の方はこの次にまわし,急逮この十一面観音を調べることにした。以下はその時の調査による木像の概要である。像容の大体は通例の十一面観音立像と同様,左手を屈臀して宝瓶を把り,右手はゆるやかに垂下して五指を伸ばし蓮華座上に立つ。左足を支脚として右足を遊ばせた偏立像で,腰をやや左にひねっている。注目されるのは,膝を曲げた右足をつま先立つようにして踵を高く浮かせていることで,踵は蓬肉上面から大きく離れ,従って甲部はきつい傾斜をつくっている。まさに歩き出さんとする寸前の動きであるが,踵をあげた仏像は誠にめずらしい。頭部は大きな単髯を高く結び,頭髪は正面天冠台下をまばら彫りとするが,他はこれを表わさず平彫りである。髯頂に仏面を髯側の凹部に三面の,また地髪部に七面の頭上を配し,正面に化仏をつけた柄を残しているが,頭上面はいずれも後補で一部欠失していま金銅製の宝冠(後補)を戴く。面相は,腫れぼったい瞼の間に,まなじりを上げた直線的な目力咳iJまれ,小鼻を限る鋭い線が深く刻まれて顔面の造作をひきしめている。整った口もとを囲むたくましい顎が,太く短い頸とともに表情をすこぶる意志的なものとしている。垂髪を肩に垂らすがその遊離部が左右とも後世に削り取られているので,現状では地髪との連絡が断たれている。胸飾は刻まず,金銅製のものをつける(後補)。また腎釧は無文平彫りの甚だ簡略なもので,総じてこの像には檀像に特有の細緻で工芸的な彫技は少ない。腕釧もつけていないが両手先が後補であるので当初はあったとみてよかろう。条吊,裳(二段折り返し),天衣,いずれも通例の方式による着装である。ただ,背面の裳裾と裳折り返し部の一部を後世の改変でかなり削り落としている。この裳裾背面は当初後方に強い張り出しを作っていたと思われ,これは像の全体的な動勢に重要な効果をもつはずであるから,この改変ば惜しまれる。像を現在の厨子に納めるに際して,無神経に像自体を削って調整したものであろう。材質は緻密であり,おそらく上質のカヤと思われるが,サクラの可能性もあるので判定はしばらく保留したい。頭髪部に群青,唇に朱の痕跡をとどめるが他は素地のままで,い(注1)(注2)いる。天冠台は平行した二条の刻線を入れるのみの簡素なもので積極的な文様を刻まない。(注4)(注3)-264-
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