ま黒ずんだ古色を呈し,また細かい盤痕が顔面や胸部その他に認められる。構造は頭体主要部を頭頂から蓮肉まで一材で作り,頭上面,両手先等の小部分を別材で作って寄せる。後頭部と背面左上方にも若干の矧木があるが,内剖は施さない。がっしりとした体謳はやや短めであるが強い量感をもち,小像ながら骨格のしっかりした彫刻である。奥行きのある重い頭部が太く短い頸で体謳につながり,胸部は強い弾力をもって前へ出る。その胸にかかる条吊の襲も,天衣のそれも,たいへん力のこもったねばり強い彫技をみせる。体謳の側面は弓のように張りのある弧を描き,これに両胸の動きや膝の出や足元の角度が適確なアクセントを与えて,誠にすぐれたデッサンを見せている。裳の繁褥な衣摺も,視覚的には下方に十分な重さを与えて像の安定に寄与し,効果をあげている。これを作った仏師の並々ならぬ底力を見せつけるような見事な造形である。そしてこの造形感覚はまことにオーソドックスなもので,すこしも郡びたところや歪んだところがない。本像の形状で最も特徴的な点は上述のごとく,右足の踵を高く浮かせた動勢表現である。こうした姿勢はきわめてめずらしく,他に類例を知らない。法華寺の十一面観音像は踏み出した右足の親指を上方に反らせて運動感を巧みに表しているが,運動感の表現という図においては白山町の本像もこれと軌を一にするものである。十一面観音にまま見られるこうした特殊な動勢表現に関して,十一面観音経が説く満願時の瑞相に,栴檀で作られた十一面観音が「自然に揺動して」頂上仏面が声を発し「善きかな,善きかな,善男子」云々と修行者を賛えるというのがあり,十一面彫像における運動感の表現は,これに由来するのではないか,という見解がある。誠に興味深い指摘で,本像に関する限り,いかにもという気がする。また,経典は十一面観音の像高を「一尺三寸」に作るように指示しているが,本像の髪際高は39.3センチであり,これに正確に適合することもおもしろい。本像の制作時代は,造形の全体的印象や様式的特徴から判断して9世紀とみられる。代判定に特殊な尺度を採らない限り,本像の造形的諸特徴は平安初期彫像に通有のものと認められる。裳の衣摺をつくるいわゆる翻波式の彫法も典型的なものであって,それもまだ形式化していない初発的な強さと緊張を見せている。法華寺像に匹敵する見事な衣文である。9世紀も前半とみてよかろう。本像を納める厨子は江戸期のものであるが,その斗帳の裏面に寄進者の連名と文政九年(1826)の年記が墨書され,そこに「高田寺什」とある。江戸末に本像がこの高田寺に伝存していたことを知るが,それ以前の伝来事情は全くわからない。また,高田寺自体の由(注6)(注7)-265-(注5).......
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