鹿島美術研究 年報第7号
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要因も希薄であって,その動機の大きな部分が個人的かつ主体的な造形上の関心によって占められていた。色,形,線,面,空間といった造形要素そのものに対して独持の鋭敏な感覚をもった画家たちの自立的な選択の歴史が琳派の流れを形成していったのである。その意味で琳派の画家たちの画風の継承は,絵画性への根源的な問いかけに発していたといっても過言ではない。明治以降もたびたび言われ続けた琳派芸術の近代性とはそうした点に基因しているともいえよう。本研究は近代的価値(造形的)を持つ琳派芸術の特性を「抱ーの光琳画の継承と展開」を手がかりとして探り,その芸術の歴史的特殊性と普遍性とを見極めてゆくことを目的とする。⑨ 龍門北魏窟の研究_龍門北魏様式の形成における中国化の問題ー一”研究者:東京芸術大学美術学部非常勤講師研究目的:仏教および仏教美術がインドで生まれたものである以上,東アジアに広がる仏教文化圏の中で,広い意味での共通性,類似性が存在するのは当然のことである。他方,各地域ごとの独自性や変化というものが生じるのもまた当然のことといえる。それは,中国にも朝鮮にも日本にも仏教伝来以前に培われてきた先行文化があるからで,仏教文化は行く先々で各地の民族的,風俗的伝統に接触し,変容させられながら受けいれられていったのである。こうした変化に着目し,その要因や影評関係について考えることは,様式研究において極めて重要な方向であると考える。中国の仏像は伝来以来,徐々に漢化の傾向を示しながら東漸し,南北朝時代の5世紀末葉には着衣形式ながら中国風の褒衣博帯式に変わり,西方伝来の服飾・図像•印相・持物等も激減し,かわって“もかけ座”や五尊形式が登場するなど,大きな変化を示した。中でも北魏の首都洛陽の南郊に位置する龍門石窟では500年頃から皇帝勅願による賓陽洞の造営が始まり,北魏後半期造像の中心舞台であったと思われる。龍門北魏窟の研究は北魏における“造像様式の中国化”を考える上で,最も重要かつ意義深いことであり,現在不明とされている南朝様式の解明にも,何らかの手がかりを提供するものと期待される。松日奈-21 -

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