⑳ 漢代画像石の世界とその展開れる必要があると考えられる。さらに,カタコンベ美術全体の編年を考えなおす契機になると考えられる。また,初期のキリスト教美術において,もっとも初期の象徴的図像の多くが4世紀末からも5世紀初めにかけての高揚する教会イデオロギーの雰囲気の中で消減していったのに対して,異教起源であり,聖書に取材しないこのテーマが,常に重要な位置を占めつづけ,もっともキリスト教的な図像へと独自の発展を遂げたのは,注目に値するといえる。それはキリスト教がとりも直さず,本の宗教であるということと関係するのであろう。この図像の生成過程を追うことによって,教会の勝利以前,以後,及び4世紀末の画期的な変化という各段階を追ってみようと思う。また,キリスト教美術のキリスト教性とは何か,それは異教徒のローマの中でどのように成長していったのかもあわせて考えてみたい。研究者:早稲田大学文学部助手杉原た<哉研究目的:漢代画像石の研究は,土居淑子氏の『古代中国の画像石』(同朋舎1986)により従来の研究を総括した形でのオーソドックスな全体像が一応まとめられ,現在は別の新たな視点からの取り組みへという段階に移行しつつある。その先駆として,やや古くなるが曽布川寛氏の「箆裔山と昇仙山図」(『東方学報』京都51冊1975)などがあげられよう。本研究もそのような流れの中にあるもので,例えば「橋上戦闘図の解釈」は漢代に流布していた孝女説話にもとづく儒教的な図像であることを立証し,土居氏が立てた呂母の乱とする従来の説の見直しをせまろうとするものである。また,「画像石中の胡人の問題」は,画像石を子細に調べていくとそこに実に多くの西域胡人の姿がみとめられることを明らかにし,その画像を中心に漢代の西域の具体像をさぐろうとするもので,これまで文献のみによって進められてきた漢代の西域史研究にまったく新しい視点を切り拡こうとする試みである。さらに「星辰図とその展開」は,私自身のこれまでの研究により,漢代の宇宙観を具現化した画像石の星辰図がその後仏教美術に取り入れられて遠く日本の飛鳥・奈良・平安時代の中にも表わされていること,その背景には道教思想の影響も見られること-32 -
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