鹿島美術研究 年報第7号
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3.天心が日本美術の真の姿を西洋人一般に対して啓発しなくてはならないと強く意2. 1904年のセント・ルイス万国博覧会において天心が行なった「絵画における近代4.ボストン美術館に雇われていた期間中,天心は言うまでもなく自らの豊富な知識1.本研究プロジェクトの目的は,日本美術の西洋への紹介の初期段階に当たる19世紀後半から20世紀初頭(日本で言えば明治時代)のボストン美術館での天心活動のを明らかにすることにある。の問題」と題する講演で明らかな通り,当時の西洋にあっては日本美術一般を(フェノロサを始めとするごく僅かな専門家を除けば)浮世絵や装飾芸術に代表されるものとしてとらえる傾向があったことや,日本絵画を稚拙とする余りにも無知な批判があったことを天心自身はよく承知していた。識していたことは,1893年のシカゴ万国博覧会の日本館「鳳凰殿」の計画,実施,および天心自らの英文解説作成の段階でも明瞭にうかがえるのである。および六角紫水や新納忠之介のような日本美術院の人材を日本美術の西洋への紹介の為に投入し続けた。こうした天心の活動を鮮明にすると共に,日本美術の真の価値に西洋一般が徐々に目覚めて行く過程で,如何なる意味を持ったのかを徹底的に分析することが必要である。「国際化」が謳われている今日,日本紹介の先駆者天心のボストン時代の業績の評価分析は必ずや今日的意義を有するものと思われる。⑪ 友禅染の原像と絵師友禅の役割についての再検証研究者:国立歴史民俗博物館情報資料研究部助手丸山伸彦研究目的:「調査計画の要約」の項でも述べたように,大正時代の友禅研究は個人友禅を過大評価しすぎ,一方,戦後の友禅研究では客観的であろうとするあまり事項の羅列に傾き過ぎた感がある。しかし,ここで問題としたいのは,戦後の研究において友禅の研究そのものが,冷静たらんとする域を通り越して冷却化してしまっていることである。今日しばしば指摘される染織史研究の立ち遅れは,資料不足という環境要因を別とすれば,人文系研究の核となるべき魅惑的な人物像に対しての鋭角的な切り込みを得意としない染織史の守備体形そのものに問題があるように思う。その意味において友禅史における絵師友禅への新しい視角の入射は,単に友禅史上の重要課題であるというだけでなく,染織史全体に,ひいては美術史全体にとってきわめて意義深いものであ-40 -

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