たちの関心は器面を構成する装飾文様にあった。また,それぞれの地域において,歴史上のある時点で装飾技法の主役の座を譲っているが,その時期や状況は必ずしも一様ではない。そこで東洋陶磁史上にあらわれたさまざまな印花装飾とその展開を研究することによりその特質を把握し,美術史上の新たな位置づけや評価をすることができると考える。⑭ 杭州をめぐる仏教絵画_宋時代江南地方における仏教絵画と東アジア地域への波及—研究者:東京国立文化財研究所情報資料部研究員井手誠之輔研究目的:杭州は,北宋から南宋への王朝南渡・元王朝の江南支配という大変革にもかかわらず,華厳・天台・禅等の学においても,張商英・蘇東坂・楊傑・張即之ら士大夫に代表される居士仏教においても,浄土信仰に代表される民衆仏教においても,ひとしくその中心的な場として存続し,きわめて多様な伝統をもつ文化が一所に凝縮されていた感がある。そこでは,いくつかの有力寺院が,開かれた文化交流の場として機能したことが予想され,そうした文化交流を背景として,仏教絵画の制作を専門とする仏画師の工房が成立し,牧裕の画業が形成され,また北宋から南宋時代における絵画変革の指導的役割を果たしていた画院においても,劉松年・梁楷などのように,仏教文化との連絡をもった画家が出現する。またそれらの有力寺院をとおして,朝鮮の高麗時代における大覚国師義天・潅王の国家レベルでの仏教文化受容・交流,日本の平安後期・鎌倉時代・南北朝時代における留学僧・渡米僧に代表されるやや個別的な仏教文化受容が行われ,杭州は中国ばかりでなく,東アジア地域における仏教文化の窓口であり続けてきた。本研究では,こうした当時の杭州における有力寺院のもつ開かれた文化交流の場としての役割を明らかにしながら,あわせて当時の仏教絵画における水墨・着色・白描などの多様なジャンル・形態・様式の接触・交流の可能性を考えてみたい。また,現存する宋時代の仏教絵画に関して,その制作の背景における多様と統合の様相と東アジア地域における受容の様相とを対照させて,その表裏の関係における差異を明らかにすることで,朝鮮・日本における変容の構造を垣間みることにしたい。-42 -
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