鹿島美術研究 年報第7号
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10月号)。この作品はプリンツホルン著「精神病者の絵画」の図版をもとに描かれたもンストの方法は知らなかったにせよ,飯田操朗の代表作「婦人の愛」(東京国立近代美術館)では,まさにこうしたからみ合った曲線からなる人物像が描かれることになるのである,一方,福沢一郎がフランスでエルンストの影響の色濃い作品を描いていた昭和5年頃,古賀春江は日本にいて独自のシュルレアリスム的な表現を展開していた。彼とエルンストの類似は当時から指摘されており,例えば「アトリエ超現実主義研究号」の「『屋根の上の牛』にて」と題した文章の中で,阿部金剛はエルンストの作品と古賀の「漁夫」という作品の類似を述べている。昭和4年に描かれたこの「漁夫」(福岡県立美術館蔵)という作品は古賀の作品の中でも人物のフォルムやマチェールが独特な荒々しさを見せる異色作と言えそうだが,エルンストや1927年頃繰り返し描いた「遊牧民たち」のシリーズ(汲1105■1132)に似ていることは誰の目にも明らかであろう。ただし,エルンストがグラッタージュの技法によってマチェールと色彩の効果を生み出したのに対し,古賀はその効果を筆によって作り出そうとしているかのようである。また,昭和5年の二科展に出品された「涯しなき逃避」(石橋美術館蔵)についても発表当時から福島繁太郎や仲田定之助がエルンストの影響を指摘している(「美術新論」のであり,古賀は他にも精神病者の絵面からの模写を残しているが,興味深いのは,エルンストも学生時代から精神病者の造形芸術を研究し,プリンツホルンが書く以前に論文を執筆し,発表しようとしていたことである。そして古賀が使ったプリンツホルンの著作の同じ図版が,ヴェルナー・シュピースによれば,エルンストの作品の発想源にもなったのである("MaxErnst Les collages", pp. 185-186.)。また,精神病者の絵がもとになっているとはいえ,「涯しなき逃避」に見られるような形態と画面の処理には,プルトンの小説「ナジャ」の挿図に使用され日本にも知られていたエルンスト1923年の作品「人はそれについて何も知らないだろう」(ロンドン,テイト・ギャラリー蔵)の影響があったと思われる。昭和6年の古賀の作品「音楽」(古賀政男記念博物館蔵)についても,裸婦のポーズや全体の構図は,「アトリエ超現実主義研究号」にも掲載されたエルンスト1923年の作品「美しき女庭師」によく似ていると言えよう。早くからシュルレアリスム的な絵画を描いたもう1人の画家,三岸好太郎についてもエルンストからの影響を考えることができる。三岸が,昭和7年の12月に開かれた「巴里・東京新興美術同盟展」を見て大きな衝撃を受けたことはよく知られている。64 -

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