鹿島美術研究 年報第7号
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② 雪村の初期の作品について一一常陸との関連ー一”研究者:茨城県立歴史館学芸部主任研究員小川知―研究報告:はじめにほぼ16世紀を生きぬいた水墨画家雪村周継(1504?-)については,その事跡や作品も含め多くの研究が成されてきた。とくに戦前福井利吉郎氏の『雪村新論』によって,雪村が初めて体系的・総合的に論じられ,戦後はこれを基にして,更に個別的・具体的な論究が多くの研究家によって試みられてきた。その結果雪村の生涯,雪村は常陸の部垂に生まれ,会津に赴き,更に鎌倉・小田原を遍歴,再び会津に戻り,晩年は三春に隠棲したという雪村の大筋の生涯が美術史の上でも定着し,また作品の編年も,初期・中期・後期の大まかな振り分けが可能になったと思われる。しかし江戸時代の画伝史,『本朝画史』『丹青若木集』にすでにみられる雪村の生地の混乱,即ち常州部垂か奥州三春かに象徴されるように,雪村のとくに常陸時代の具体的な動きと,これの背景については,未だ不分明な点も多い。それゆえ本調査研究では,先学の成果も基にしながら,常陸時代の雪村の作品の基盤と動向を少しでも解明することを目的とした。以下二つの項目に分けた,ささやかな調査報告と問題提起である。1.雪村の常陸時代について『本朝画史』は,雪村が佐竹氏の一族として常州部垂(現・常陸大宮町)に生まれたこと,父が庶子を愛し雪村を廃嫡しようとしたため剃髪し,画は雪舟を慕ったことなどを記している。雪村が佐竹氏の一族であったことは,谷文昆の『画学叢書』の中の神馬図奉納の条文に「源周継舟居斎」とあること,また雪村の法諒が修業したと推測される正宗寺の祖の佐竹氏出身の月山周枢に因んで周継としたらしいことで,ほぼ是認することができる。そして近年は部垂の近くに,増井(現・常陸太田市)にあるこの正宗寺が,雪村の画の修業の場所として注目されるようになった。正宗寺に存する雪村初期の「滝見観音図」の基になった作品が,末寺の弘願寺で茨城県立歴史館の調査で見い出され同館で双方公開され(昭和57年度特別展),また赤沢英二氏によって紹介(国華1082号論文)された結果,雪村の具体的な画の習学の様相が明らかになったわけである。それゆえ今回の調査では,雪村の常陸での動向を更に探るため,まず佐竹氏と雪村との関連を雪村伝説も含めて検討し,また正宗寺及び周辺での具体的な調査,更に公-66-

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