を狂言廻しに使うことによって,「説門弟資云」が生まれた可能性も否定できない。しかしもしそうであったとしても,「説門弟資云」の内容が少しも減ずることはなく,ここに結ばれた雪村像がいささかでも衰えることがないこともまた事実である。本調査では,とくに「説門弟資云」の発見の足跡調査では大和文華館の林進氏の,また雪村の作品調査では新潟大学の武田光一氏の御助力を賜わった。-70-
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