鹿島美術研究 年報第7号
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③ 浦上春琴研究—ーイ乍品調査と年譜作成ー一ー(中間報告)研究者:岡山県立美術館学芸員川延安直研究報日本絵画史上,その独創的作画によって高い評価を得ている浦上玉堂の長子として生まれた浦上春琴(安永8年〜弘化3年:1779■1846)については,父玉堂の比較対照において語られる場合が多い。確かに肉親という極めて近い位置にあった玉堂との比較・検討は意義深い事であろうが,その場合の評価は偉大な父の前では必要以上に低くなりがちなように思われる。だが,こうした評価は近代以降玉堂がその強い個性の発揮により高い評価を得ていく過程に伴い定着したもので,春琴在世中のこの父子に対する評価は全く逆であった。江戸時代後期,文化・文政から天保年間にかけて京畿に住む頼山陽・篠崎小竹・小石元瑞・雲華といった人々を中心とする一つの文人サークルが成立していた。彼等の職業は学者・医者・僧と多彩であり,折りに触れ風雅な交遊を繰り広げていた。画家春琴もこのサークルの欠くことの出来ない主要なメンバーの一人であった。ら琴士としてその名を知られ,田能村竹田ら一部の理解者を除いて一般には画家として認められていなかったのに対し,春琴は京畿の画壇を代表する画家として広く名を博していたのである。しかし現在,画家浦上春琴については『文人画粋編第18巻頼山陽』に纏まった記述と作品が掲載され,幾つかの作品が雑誌・美術全集などに紹介されている他は体系的な作品紹介・画歴の調査等はなされておらず,その画業について十分な検討が行われているとは言い難い。今回の春琴研究の目的はこうした現在の浦上春琴研究に少しでも厚みを加えるある。その際の基礎的な資料となるものが春琴の作品リストであると考え,その作成作業を進めた結果,現在(1990年4月)までに美術館・個人等に所蔵されているものに写真・図版資料を加え80点を超える作品を確認することができた。この中には所在は確認できたものの調査が不十分な作品も含まれ,また今後もさらに作品数は増加する見通しであるため,今回の研究報告も現時点での中間報告であることをお断りしておきたい。以下,現在までに集積することのできた作品のデータから窺える春琴の特徴と傾向について私見を記してみたい。-71 -

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