鹿島美術研究 年報第7号
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II期は文政5年の「山水図」から文政10年の「秋江帆影図」・「秋山訪友図」などを含を見ると筆法は一層繊細さを増しており,色彩は明る<澄む。轡山に用いられる跛法や点苔は緻密になり,樹木の表現も変化に富んだものとなる。その結果は清麗にして温和な空気を湛えながら,画中の山水・樹石は重厚さを加え,洗練された透明感の漂う春琴独自の山水画がこの頃に完成されたものと思われる。天保年間の作品は安定した面風を見せる反面,同種のモチーフの繰り返しによる作品の画ー化という弊害もまた指摘できる。しかしそのことによって作品の水準が低下しているとは見えず,弘化元年(1844)66歳時の「倦山清暁図」(岡山県立美術館)は春琴画にはまれな青緑山水図であるが,色調には濁りがなく構成は重厚で対象の存在感も豊かである。その力量は没する数か月の作品「畳山深翠図」にも遺憾なく発揮されており春琴が死の直前まで達者な筆を振い続けていたことが知られる。以上極めて概略的ではあるが現在までに知り得た作品をもとに春琴山水図の画風変遷についての考察を試みた。ここで簡単にまとめてみると春琴山水図はその画風を三期に分けて捉えることができるのではないだろうか。I期は文化4年の「祝松精舎図」から文化9年の「山水図」を経て文政元年の「待渡之図」までを含む画風の変貌期。む約5年間で春琴山水図の画風確立期。III期は天保年間以降の画風完成期である。今後はこの山水図の画風変遷の過程を軸にその他の作品・落款•印章・伝記の考察を加え春琴作品全体の体系的位置付けを行い春琴の芸術活動の全体像に近付きたいと思う。その際,一つには頼山陽との交遊から知る部分の多い春琴伝記のうち山陽との交遊以前と山陽没後の伝記の調査,もう一つには現存作品の少ない文政4年43歳以前の作品の発見の二点が重要となるであろう。春琴も含めて当時の画家は交遊関係・行動範囲ともに広く資料・作品の発見・整理は容易ではないが,この二点を中心とする調査を今後の課題として中間報告の結びとするとともに諸先学の御批正・御教示を賜りたいと思う。_ 74

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