鹿島美術研究 年報第7号
99/312

④ 格狭間意匠の変遷研究者:サントリー美術館学芸員内藤研究報本研究は,当初格狭間の内側(鏡地)に表された装飾意匠の変遷について,総合的に検討する予定であった。しかし,今回は総合的考察に至る序論として,以下のような各論を二編発表した。その概略を述べることにする。1.孔雀文格狭間の成立過程について格狭間とは,机や座床などの脚部の補強のために,縦材と横材とが交わる部分を繋ぎ固定した材をいう。我が国では,飛鳥時代に仏像の台座や厨子の基壇などに格狭間が作られたのが最初である。中国や朝鮮半島では,鏡地に天人や供養者を配する例は比較的早くから見られるが,我が国で鏡地に装飾を施すことが定着するのは,平安後期に登場する孔雀文格狭間(仮称)以降である。それに続いて,鎌倉時代になると,鏡地に連華,獅子,あるいは宝珠などを飾った格狭間が現れる。従来の研究では,格狭間に装飾が行われる過程についてはほとんど取り上げられていない。この考察は,孔雀文格狭間の成立に焦点を絞って考察し,孔雀の意味,そして鏡地に孔雀が飾られるに至る経緯を考察した。孔雀文格狭間の作例には平安後期を中心に13例ほど現存している。すなわち,① 中尊寺金色堂中央壇(天治元年=1124)② 中尊寺大長寿院露盤羽目板(平安後期)③ 中尊寺金色堂南壇,北壇(II)④ 中尊寺金色堂北壇(II)⑤ 中尊寺大長寿院礼盤(II)⑥ 中尊寺金色院礼盤(II)⑦ 中尊寺金色院金銀装舎利壇(II)⑧ 和歌山浄妙寺本堂須弥壇(鎌倉初期)⑨ 法隆寺舎利殿須弥壇(鎌倉時代)⑩ 螺細輪宝文宝塔形舎利容器台座(奈良・個人蔵,鎌倉後期)⑪ 神奈川称明寺宝筐印塔(永仁5年=1297)(1) 問題の所在(2) 孔雀文格狭間の作例の検討-75 -榮

元のページ  ../index.html#99

このブックを見る