鹿島美術研究 年報第8号
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て,それを,従来のように彫刻家のラングドックでの修業や旅行の成果に結び付けるのではなく,彫刻家が働いたと同じエミリア地方の写本工房の盛んな活動との関連性の方により重点を置いて論じている。つまり,地理的にかなり隔たった対象との連関を捻出するよりも,たとえ技法は異なるとしても,近接する土地の視覚的情報との連関を探る方が方法論的により妥当なのではないかということである。さらに,リーマンやドゥリア等,フランス・ロマネスクの専門家で,ニッコロの彫刻についてもしている研究者も,「旅」の神話にはかなり懐疑的である。わたくし自身としては,今後,後者のような観点から考察を進めて行きたいと考えているが,それでも決して問題は容易ではないだろう。例えば,ニッコロはピエモンテとヴェネトとエミリア地方にまたがって仕事をしていることが,ほぼ確実である以上,どの程度の範囲であれば,エ人や工房は動き得,それを決定ないしは限定している要因はどこにあるのか,このような問題点が、発注者との関連も含めて問われなければならないだろう。最後に,統一的な図像プログラムという問題。とりわけ,この点に関しては,クインタヴァレが機会あるごとに,ニッコロと,そしてとりわけヴィリジェルモの彫刻プログラムに関して,グレゴリアン・リフォームのイデオロギー(カノッサのマチルダはその最大の支持者であった)との密接な関連性を強調している。造形イメージによるその宗教的プロパガンダが,そのテリトリー内の教会堂装飾のプログラムに強い一貰性を与えているというわけである。さらに最近では,それが,異端断罪の明白な図へと収倣しているとすら主張したげである(モデナのドゥオーモの彫刻装飾の全体がこのキーワードで解釈される)。しかしながら,本当にこのように一元的・決定論的に造形イメージが読まれ得るのであろうか。メッセージはそのように一枚岩的に規定され,また当時,そのような読まれ方がされていたのであろうか。この点は大いに疑問の残るところである。ここにおいて,すでに早く1930年代の末に,メイヤー・シャピロが,ロマネスク彫刻の図像を解釈するにあたって,聖と俗,宗教的企画と世俗文化との緊張関係を十分に考慮する必要がある点を,いみじくも示唆していたことを思い出しておくのは無駄ではないだろう。ザウワーレンダーも最近,例えばロマネスク彫刻の官能的なイメージを,すべからく道徳的・教訓的な寓意として解釈する一般的趨勢に鋭い普告を発している。-77 -

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