③ 狩野元信の画風形成について一一清涼寺蔵釈迦堂縁起を手がかりとして一一暉研究者:京都造形芸術大学芸術学部芸術学科専任講師並木誠士研究報告:周知のように狩野永納編の『本朝画史』には,狩野元信が「土佐派の和」と「雪舟の漢」を融合して独自の様式を確立したと記されている。この記述が,狩野派の様式的基盤を元信のそれにおき,しかも,元信が同時代の土佐,雪舟の様式を兼ね備えて画壇における地位を確立したという点を意図的に強調していることは明らかであろう。そして,現在「和漢を融合した元信」という評価は『本朝画史』の枠を越えて一般的になっているといえる。しかし,それにもかかわらず,元信の和漢の融合については,具体的な検証が必ずしも充分になされているとはいえない。その検証には,元信の父正信の様式,正信と元信の関係,そして何より元信の作画経験とそれによる画風の形成の過程を考える必要があるだろう。本研究では,京都清涼寺所蔵の釈迦堂縁起を対象としてとりあげた。釈迦堂縁起は,第六巻奥書に「今至永正十二己亥歳」とあることにより永正十二年(1515)頃の制作とされており,絵の筆者は『遠碧軒記』『碓州府志』ほかの江戸時代の文献により,狩野元信とされている。この伝承の当否は現在まで詳細に分析され尽くしたとはいいがたい。しかし,この作品は,狩野元信が大和絵の代表的な表現形式である絵巻物を手がけた作例として一般に考えられており,その中で,樹木,岩などに漠画的手法を指摘し,また,著彩表現に,大和絵の高階隆兼,土佐光信らの影特を指摘し,『本朝画史』の「和漢の融合」の具体的な作例として記述するのが通例である。このような現状は,釈迦堂縁起が従来の“元信=和漢の融合”という図式を説明するのにふさわしい作品であるという前提にとらわれた結果と考えられる。本研究では,そのような前提にとらわれず釈迦堂縁起の検討を進めることを目指し,基礎濯Jな作業として画面構成法の分析を行い,そこに釈迦堂縁起の様式的個性を認め得るかどうかという点を検討した。それにより,釈迦堂縁起の画面構成法については,次の二点が,同時代あるいは先行の絵巻作例と比較して特徴的であることが指摘できた。それは,①すやり霞の援用による斜め構成の多用②正面観の導入による奥行き表現である。-79 -
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