III. ドイツ・ロマン派の友情画Essays in the History of Art, presented to R. Wittkower. London 1967),いずれンII世の描いたいわゆる『使節たち』があげられるであろう。バロック時代にも,ルde Pompadour, Pigalle, and the Iconography of Friendship. In : Art Bulletin, 1968)。にせよ,この時期であることは疑いえないであろう。さて,このルネサンスの時代には,「人文主義的な友情画」が登場する。これは人文学者や芸術家等が画面に均等に描かれる場合であって,このタイプの友情画では,重点は個々人の人格描写の方にあり,相互の交流や関連づけは表面的なものにとどまる。これの例としては,ラファエロの『ラファエロとその剣術指南』やデューラーが『一万人のキリスト者の殉教』に描いた自身とケルティスの肖像,またハンス・ホルバイーベンスに,この系譜につらなるものがある。(2)の寓意表現による友情像が確立されたのも,このバロックの時代であった。すなわち,チェーザレ・リーパの『イコノロジーア』におけるアミキティア像がそれである。このリーパ型の友情像は18世紀のドイツやフランスに受け継がれた。このことはランクハイトやゴードンの研究によって明らかである(KatherineK. Gordon : Madame 友情が独特の色あいをおびて高められ,高度の倫理性と宗教性を獲得するのは,わけてもドイツ・ロマン派においてであった。周知のように,18世紀が進むにつれ,ヨーロッパの精神史では根本的変動が訪れ,中世的世界秩序の崩壊をきたすが,この事態は,美術家にも内外にわたる重大な結果を招いた。経済的困窮や芸術上の無理解,故郷の喪失といった事態がかれらを襲い,さまざまな意味での結びつきの欠如と信仰の喪失にもとづく拠るべのない孤独の意識が,美術家を支配するようになるのである。この一方で,美術家の内部に高まってくるのは,足元の確かな地盤を求める憧憬の念と,失われてしまったものの埋め合わせとなる,新しい確かな中心を求める気持ちであった。この新たな中心となるものこそ,友情の体験なのであり,友はロマン主義者にとっては盟友として,助けとなるとともに聖なるものとなるのである。無限なるものをめざし,人間と神的なるものとの新たな関係を模索するなかで,孤独な人間がつながりを求め,共同体を形成して,友情をその核とするのである。ロマン派の友情画はこうした思いの造形化であり,それらはそこに含まれる強い倫理的内容のために,告白や心情吐露となるのである。-104-
元のページ ../index.html#128