ルンゲの『われら三人』にはたんなる兄弟愛をこえた友情の絆が認められ,フリードリヒの作品にも,寄りそう友を描いたものが見出される。一方,ナザレ派においては,オーヴァーベクとコルネリウスがたがいに描きあった二人肖像画や,アントン・ラムブーの『エーベルハルト兄弟』にみられるような,小品で私的な範囲にとどまるものでありながら,独特な構成を示して忘れがたい友情画がいくつも認められる。これらは一定の形式を具えたもので,友情画のなかでも際立つ存在である。画面には余計なものは一切省かれ,伝統的な手の結びつきも必要とせず,もっぱら肩から上の頭部に注意を集中する。特定の時や場所をいうことのできない,何もない背景やまわりの空間のなかに,友人たちは階段状に配列された頭部の並行揺写と,またたがいを見つめることのない強い視線を示しつつ,一切の活動を拒否して,周囲の世界をよそに,自分たちの世界に住まうのである。このある種抽象的な厳しい構成と,強められた外的孤立性が,友人たちの内面的な結びつきを強め,友情に倫理的強さを与えて,聖なるものへと高めるのである。こうした友情肖像画とともに,その寓意的表現が19世紀においても採用されたことは,プフォルやオーヴァーベクの作品に明らかである。以上,われわれは友情画の系譜をたどり,ドイツ・ロマン派の友情画を眺めてみた。ここから明らかになることは,ドイツ・ロマン派の美術の特質とともに,より広くは,近代美術全般に通ずると思われる点である。すなわちそれは,自由を獲得した一方で,たえず孤独と不安におびやかされ,絆を求めてやまぬ近代美術家の姿なのである。-105-
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